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「行ってきます!」の旅立ち2007-09-11
 会うたびに幸せに満ちて少なからず成長をしていく娘の姿は、親の私でさえ眩しく、今を盛りに輝いて見えました。
 そしてその姿は、まるで一時停止していた動画を再生するかのように、再び私の前で動き出しました。


 たくさんの方たちとの様々な今生の出逢いがありますが、一番すごいのは、やはりわが子との出逢いでしょう。まさに”あなたに出逢えてありがとう!です。血肉を分けた自分の分身なのだと、言いようのない幸福感に包まれます。
 私の前に存在しているこの人が、あの赤ちゃんだったわが子だとは何か信じがたく、時折まじまじと笑顔を見詰めてしまいます。


 過去に戻りたいとは思いませんが、子供たちのあの幼かった可愛い姿にいつも無性に会いたくてたまらなくなります。会社勤めの仕事が忙しすぎて、子育てが行き届かなかったという悔恨もあるのでしょう。


 わずか8日間の滞在でしたが、土日以外は、私の心のすべての時間を娘に捧げました。といっても、私に出来ることは、一緒に過ごすこととただ食べさせることだけでしたが。
 日本の素材と和食に飢えていた娘に、通常のお客様料理とは違う料理をひたすら作りました。
ただ、美味しい!と言って食べてくれることが私の慰みでした。


 娘は、料理は決して不得意ではないのですが、不思議に昔から私が料理するときは、ほとんどキッチンには現れず手伝いもしません。従って私は、彼女に料理を教えたことすらありません。
 少しは教えておいた方がよかったかしらと気遣って、
「お料理、教えたこともないねえ。」と言う私に、
「うん、でも大丈夫だよ、ちゃんと味だけは教えてもらってるから・・・。味が分かってたら作れるよ!」
そうですよね、そういえば私だって、誰からも教わったわけではありませんでしたもの。


 時々は、「パーティーするから、一般人向けの(外国人にも通用する)レシピのヒントが欲しい・・・。」
なんてことを言ってくることもありますが・・・。
 色んな国籍のお友達との交流は、うらやましい限りです。タイ人、韓国人、フランス人、ドイツ人、イギリス人・・・。
 ふたりして買い物に行くたびに娘は、「へえ〜、日本人って親切ねえ!」を連発します。
 買い物先で、生もののために用意してある氷を見て、
「ただでもらえるなんて!アメリカには何ひとつタダなものはないのよ。」と言います。
 丁寧に包装される商品を見て、その度にため息をついています。
 食事に行った料理店で、丁寧な出迎え見送りを受けながら驚いています。(これは、他料理店の研修のために行きました。)
 うどん屋さんのカウンターに座り、「外国では荷物なんて、いつもならしっかり膝に抱いておかなければならないのよ!」と言います。
 「私のところ(旅行代理店)でも、ちょっとでも丁寧だったり、親切にしたりすると、お客さまから封書のお礼状が届くのよ。日本では当たり前のことなんだけどねえ・・・。」
 空港のカウンターで、重そうな荷物にサッと手を貸してくれる身に付いた親切さにも、ひとつひとつ驚きの声を上げます。
「アメリカではね、スタッフが重いお客の荷物を持つことで腕を悪くするからと、決して誰も手伝わないようになっているの。」
 持ち込み荷物の重量オーバー(20kgまで)は、追加料金のはずなのに、「3kgが、オーバーしていますから別な袋に入れましょうね。袋はこちらのものをお使いください。」と親切にされた上に料金の請求もなかったと、最後の最後まで感動しまくっていました。
 日本を離れてみて、外から眺めた日本を再認識している娘の姿が、私には新鮮で珍しい出来事でもありました。


 今までは、多少なりとも小言を言うこともありましたが、いつの間にか、すっかりしっとりとした大人になって、もう何も言うことはありません。
 土日だけは、営業を休むことが出来なかったので手伝ってもらいましたが、ホテルの仕事をしていたこともあって、部屋の準備やお客さまの応対は、任せっぱなしでした。


 昔から、娘は、何をしても、どんな些細なことにも「ありがとう!」の言葉を返してくれる子供でした。今回も、一日に何十回聞いたことでしょうか?これだけは、私がいつも娘から見習いたいと思っていることです。


 用意したたくさんの食材が、食べさせきれなくてテーブルや冷蔵庫に残ってしまいました。
 全く、親ばかだなあと思ってしまいます。
このブログを書いていること自体が、親ばかなのですが・・・。


 朝の5時に家を出る彼女のために、機内食がどんなに不味いかを聞かされていましたから3時半に起き、2食分のお弁当を作りました。
 冷房が入っているとはいえ、夏場のことですから、どこまで食事が持つか心配でしたが、届くぎりぎりのところまで引っ張って行って欲しいと思いました。私が出来る精一杯のことは、やはり料理でしかありません。(もっと他になかったのかなあ?)


 今日は、9.11同時多発テロから丸6年の日でしたが、「行ってきます!」の明るい声を残して、そのワシントンDCに娘は再び旅立っていきました。
 しばし羽休めの止まり木になれるという役割の幸せをしみじみと感じさせてもらった娘の帰国でした。
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