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私の”愛の星” 麻美ちゃん物語2008-02-01
 私のとても大切な友達の一人に、麻美(まみ)ちゃんという人がいます。名前だけ聞くと、とてもかわいく聞こえますが、かわいいというより、とてもピュアな”大人の女”です。私より1歳年上の今年58歳です。
 彼女とめぐり逢えたことは、今生の最大の歓びです。一生のうちに、たくさんの人たちと出逢いますが、ソウル・メイトとも言えるような人に出逢えることはそうザラにないのかもしれません
 私たちは、お互いとても忙しいので、ここ数年会ったこともなく、電話で話すのも1年のうちに1、2回ですが、不思議と彼女とは、いつも通じ合っています。


 といっても、彼女と知り合ったのは、まだ10年ほどにしかなりません。ある会社の代理店経営で営業をしながら全国を飛び回っていた彼女は、数ヶ月間の沖縄滞在中に、沖縄在住の私の友人と出逢い、「福岡に面白い友達がいるから・・・。」という紹介をもらって、次の営業地の福岡にやってきました。


 彼女と数回会ううちに、ホテル暮らしの不自由さを知り(私は常に食事のことを思い浮かべます)、少々ためらいもありましたが、家族にも相談して私は、家の部屋の一室を提供する申し出をしました。・・・正直、まだどんな人かもよく分からないのに、家族として生活することが途中で厭になったらどうしようというためらいがありました。
 しかし、この私の申し出は、大ヒット、大成功でした!彼女は、約半年間私の家で暮らしましたが、ただの一度だって、指の先ほども彼女のことを疎ましく思うことはありませんでした。いいえ、それどころか、私は、彼女の生き様、人生観に大きな感銘と感動を覚える毎日でした。おかげで私は、彼女からたくさんのことを学びました。


 「麻美の小学校のころの通知表の“親の所見欄“にはね、私、いつも”豪胆”って書いてたのよ。あの子は、いつも正義の味方で、男の子たちもみんな麻美の家来だったの!」と、いつでしたか、麻美ちゃんのママが話してくれたことがありました。
 そうです、彼女の崇高な精神は、生まれながらに平和の道を拓いていくという人徳と使命を受け継いでいるのでしょう。彼女の言葉は、常に率直で、誠実で、正直で、平等でした。そして常に等身大でした。


 お互いに忙しい日々の生活を送りながら、私たちは、毎晩毎晩、食後に人生の話をしました。いつも夜中の1時、2時、3時になりました。お互い、「今夜は自分の仕事をしよう!」と思うのに、やっぱり話し込んでしまいました。しかし、“今“しかなかった貴重な時間でした。大袈裟な言い方をするならば、彼女との半年の共同生活は、まさに哲学の半年でもありました。


 私の話す言葉に対して、彼女は徹底的に、「どうして?なぜそう思うの?それはどうして?それは、どんなところがそう感じるの?」と突っ込みを入れ、私の思考回路を徹底的に分析させました。それは、真剣に人の話を聴くという、彼女の深い人間愛と真摯に満ち溢れた対話方法でした。彼女は、いつもそういうやり方で、人とのコミュニケーションを築いてきた人でした。
 私たちは、とことん真剣に議論をしました。彼女からの問いかけに、私は、言葉をなくしたり、自分が中途半端な気持ちで生きていることや自分の隠された潜在意識を思い知らされたりしました。


 彼女から教えられたことは、無数にありますが、こんなことも言っていました。
「全ては、自分のあり方であり、自分の責任なのよ。腹を立てたり、不愉快になったりすることがあったとしたら、その原因を考えてみるの。どうして?どうして?どうして?どうして?・・・って心の問答を紙に書きながらずっと考えるの。そうしたらね、最後には、“愛”って言葉しか残らなくなるのよ。・・・あの人に、厭な思いをしている。それはどうして?って考えると、その人から自分が受け入れられていない、ほんとうは、その人に自分を認めてもらいたい、その人と仲良くなりたいって潜在意識があることに気づくのよ。」


 こんなこともありました。私は、毎年味噌を作るのですが、ある夜、私は、麻美ちゃんに言いました。
「今夜は味噌作りをするから話できないよ!」
「へ〜え!お味噌作るんだ!わあ〜、私も手伝う!」
彼女は、はしゃぎながら私の手伝いをしました。そして、味噌玉を作ってカメに詰めるときになって突然、麻美ちゃんは泣き出しました。私には訳が分かりませんでした。大きな声を出して手放しでオイオイ泣くのです。
 「だってぇ、アッコ、こんなもん作るんだぁ!豆を炊いて、潰して、こうやって作るんだぁ〜!オーン、オ〜ン!私こんな世界知らなかったよ〜!オーン、オ〜ン、あったかいよ〜!」
 これが、たぶん私と麻美ちゃんの琴線をつなげてくれた出来事だったと思います。私は、麻美ちゃんの心を理解しました。(彼女は、仕事人間なので家事は全くしない人でした。)


 私もそうですが、彼女は、よく泣く人です。感動したときだけですが、きっと毎日泣いていることでしょう。彼女の感動が、彼女の道を拓いて行きます。
 私の想いは、いつも確実に彼女に届きます。彼女の想いも真直ぐに入ってきます。それは言葉を超えています。
 それに彼女は、決して愚痴を言いません。愚痴を言うと、エネルギーが逃げていくのだそうです。彼女の場合は、生き方そのものが、全て消化されて愚痴というものが発生しないのでしょうけれど。
 そして、常にパワー全開でエネルギッシュに走り続けています。よくぞあんなに走れるものだと思います。
 お父さんは、東大出身のエリートで、宝石商を経営されていました。かなり裕福な家庭に育ち、小、中学校のころは、東京の有名な私立校に通っていたそうです。しかし、会社が倒産して貧乏のどん底へ転落。なのに、彼女にそのころの時代の話を聞いても、裕福さに対する未練も全くの悲壮感もありません。お金があろうとなかろうと何の執着も持っていないという感じです。


 麻美ちゃんのママも、とても面白い人です。今年82歳になられるというのに、70歳から始めたオペラの舞台稽古に一生懸命です。声だけ聴いたら、私なんかよりよほど若いです。ほんの数年前までは、東京の有名フランス料理店の経営を任され、今はとてもポピュラーになった“サロン・コンサート”なるものを日本で初めて開催された人です。最初のアーチストが、館野泉さんという、私も傾倒しているピアニストだったそうです。
 (私が、毎年毎年梅干しを送り続けているのは、このママのためなのであります。私が作った梅干ししか食べないのだそうです。昨年は、10kg送りました。梅干しのころになると決まって、ママから、筆圧の強い元気な文字で、”ありがとう”が何十回も繰り返されたメッセージやママの堂々としたステージ衣装の舞台の写真が届きます。)


 私が、会社時代、東京出張で麻美ちゃんの家に泊まったとき、私は、持って行った食材(自家製野菜)で料理を作ったのですが、そのときのママのお褒めの言葉が、“野の花”をやっていく原動力になりました。
 「ママって、あれだけいろんな料理店に勤めていたから、すっごく味にうるさい人なの。絶対“美味しい!”なんて言ったことないのよ。それが、アッコの料理には、絶賛なんだもの!私、ママが人の料理を褒めるのを初めて聞いた!」・・・お世辞半分にしても、東京で暮らす方には、新鮮な野菜で作る素朴な料理が珍しくもあったのでしょう。
「うん、やっぱり、料理屋をやろう!」と私の背中を押してくれた言葉でした。


 麻美ちゃんは、ほんとうは、ダンサーです。26歳でバレー団を興しました。(生徒数150名)そして彼女の夫は、プロのジャズミュージシャン。ですから、彼女は、ダンスとミュージシャンの仲間たちに囲まれてその時代を生きていました。
 一時期は、芸能界の仕事もしていて、ジャニーズ、桜田淳子、松田聖子、原田知世、小林麻美さんたちの振り付けもしていたようです。しかし、芸能界に興味のなかった彼女は、彼女らの名前さえ知らなくて、バレー団の子らに、「ねえ、松田聖子とか桜田淳子とかって知ってる?」って訊いて驚かれたとか。「そんときのギャラが、すごかったことだけ覚えてる!」とも。しかし、商業ベースの振り付けはしたくないと数年で辞めてしまったといいます。
 バレー団を始めて12年、“卑弥呼”の舞台を最後に、愛弟子にそのバレー団を譲り、先に述べた全国を営業して回る旅生活が始まりました。バレー団を辞めた理由は、教えれば教えるほど、子供たちの中のクリエイティブさが失われていくのが辛かったのだそうです。


 そして今は、生分解するエコ洗剤の会社を興して、これまた相変わらず全国を息つく暇もないくらい飛び回っています。取引先は、ほとんど飲食関係の企業で、合成洗剤や苛性ソーダーの使用を切り替えるように訴える環境運動が彼女の会社経営の本来の目的です。(同じ洗剤を“野の花”でも扱っています。)
 しかし、彼女は、ダンサーを諦めているわけではありません。彼女は、生まれながらに天性のダンサーなのだと思います。壁にぶち当たったから、迂回して他の仕事をしながら、ダンスを極めようとしています。
 会社では、ぎりぎりまで仕事をしながら、日曜日は、譲ったバレー団で、顔なじみの生徒たちにボランティアでクラッシックやダンスの振り付けの指導をしています。9時間から12時間も踊っているそうです。
 彼女の振り付けのテーマには、常に”愛”と”希望”と”平和”が織り込めれているようです。学校教育では、決して果たすことのできない内容でしょう。
 私は思います。今の会社がもっと大きくなれば、会社をまた人に譲り、積み上げた人生の集大成で本来のダンサーに戻って行くのだと。彼女のママ同様、80歳になってもきっと踊り続けていることでしょう。


 久々のお手紙と同時に、バレー団のクリスマス発表会のDVDが届きました。麻美ちゃんが育てた子供たちが大人になり、その大人になった生徒のひとりにユッコさんという人がいます。そのユッコさんがバレー団のオーナーとなり今また子供たちを育てています。
 ユッコさんは数年前に、リウマチになり車椅子の生活をしていたということですが、今では、踊りに支障がないくらいの復帰を果たしました。彼女の率いるバレー団は、若い男性も多くパワーに満ちています。子供たちの笑顔が輝き、子供たち自らがプログラムを作り、自らで振り付けも考え出していくという、クリエイティブなバレー団です。みんなの歓びが渦巻きになっていました!
 

 「自分が病気に負けているときは、自分が一番大変だと思って、下を向いていましたが、毎日毎日生活をしていると、いろんな想いを持ってみんな人は生きているってことに気がつきました。・・・ダンスが、みんなが私を支えてくれました。ありがとう!」とユッコさんは、歓びに満ちた笑顔で発表会を締めくくっていました。(きれいだったなあ、ユッコさん!)


 「ほんとは、ユッコがリウマチになって動けなくなったから、私は、彼女のリハビリのために通い詰めていたの。そうしたらさぁ、子供たちがみんないい子で、輝いているんだもの!私も踊りだしたら楽しくってさぁ、止まらなくなってしまったわけであります!」って麻美ちゃんは言っていました。


 そんな裏話を聴きながら、麻美ちゃんが送ってくれたDVDに感動し、2時間ものを通算4回も観てしまいました!自分では全く踊れないのに、実は、私もダンスが大好きなのです。好きでなくとも、あの輝きのパワーの渦には否応なしに引き込まれます!


 改めて、彼女のことを考え、彼女を荒削りながらデッサンしてみました。(私は、麻美ちゃんの話だったら、ほんとうは丸一日でも話し続けることができます。必要あらば1冊の本だって書くことができます!)
彼女の真直ぐな生き方、そして彼女の存在は、私の生きる支えであり、私の人生の大切な“愛の星”です。
 とても及ばない私ですが、友達の一人に加えてもらっていることに感謝です。そして、彼女に引き合わせてくれた沖縄の友達にも心から感謝しています。


 今年のクリスマス発表会には、私を招待してくれると言っています。(・・・あのすてきなスターたちに会うことができます!)さらに嬉しいことに、バレーのユッコさんや麻美ちゃんの会社の人たちと“野の花”ツアーを組みたいなんて言ってくれています。


 お手紙の最後に書かれていた言葉です。


「もっともっと私の力を、この地球の全ての命のために使ってくださいと祈る日々です。」


ワタシタチハ コノチキュウ デ カガヤキ アフレテ スコシデモ スバラシイ ナカマヲ フヤシマショウ
シーユー アゲイン!!!」


 そして、発表会のプログラムの裏表紙には、彼女の詩が綴られていました。


【 拓く 】


わたし達は 地球の遺産
何万という祖先が 見守ってくれている
このかけがえのない地球に
平和と美しさをもたらす日まで
一人一人の心の光を 世界に灯そう
誰にも奪うことのできない
夢と希望を失わず
闇に向かい
右半身を一歩踏み出す

今左半身が 宇宙と繋がって
わたし達を支える
共に悲しみ 共に笑い 共に生き
心を一歩 踏み出す

コメント
 ありがとうあっこさん。このブログを読み又泣けてしまいました。

 初めて会った私に、ホテル代大変でしょう?家に泊まればいいよと言って頂き何と半年もお世話になりました。家族も仕事もある中で、あかの他人それも初めて会った私にです。
 あっこさんの家での日々は私にとっても人生で2度と無い体験でした。毎日会社帰りに畑に寄り新鮮な野菜を取ってきて食事を作ってくれました。仕事の休みの日曜日は一日中畑にいて、土に触っていると少しも疲れないのよとニコニコしている彼女でした。

 ホテル暮らしで仕事オンリーの私の生活で自分が失いかけているもの、そして人のそばに寄り添って生きることの幸せを(そんな言葉では言い尽くせないのですが)取り戻させてもらった日々でした。

 先日彼女のブログを見て、どうしても踊りのDVDを見て貰いたくなり送りました。何回も何回も見てくれてお手紙が届きました。

 人生はいつも、今という時に全ての状況が整ってあるのだと思います。今を精一杯生きれば必ず次の扉が開くと信じて生きています。なぜならそう生きてきてあっこさんとも出会えたのですから。
たくさんのありがとうをこの場を借りて言わせて下さい。
出会えてありがとう!
(花輪 麻美 2008-02-11)
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