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31歳になった愛しい娘へ Part12008-03-25
 奈緒さん、ずいぶん日にちが過ぎてしまいましたが、3月17日のお誕生日おめでとう。
もう、31歳になってしまっただなんて・・・感無量です!
 あなたへのメッセージを書きたいと思いながら、アルバムや小学校のころの文集や日記帳をめくったりしているうちに、お母さんはひとり、あなたたちの小さかったころへタイムスリップして数日間どっぷり浸かっていました。


 6年間、欠かさず日記を書き続けていましたよね?あなたたちのお絵かきやお習字やお母さんへのお手紙は、どんな小さなものでも“思い出BOX”に入っています。たくさんのお手紙をくれましたよねえ。あなたたちが小さいころ着たお洋服も、きれいなものは全部保存しているのですよ。小学校のころは、お洋服もたくさん作ってあげたよね?覚えていますか?あなたたちのお誕生日が来ると、決まってお母さんは、その箱を開けます。


 その箱を開けたり、アルバムをめくると、過ぎ去った日々のことが走馬灯のように流れ込んできます。「こんなに小さかったんだ!」「こんなに可愛かったんだ!」「もっと、もっと大切にすればよかった!」「もっと、もっとやさしいお母さんでいればよかった!」ってね、せつなくてせつなくて、いつも泣きたくなってしまいます。・・・けっして戻っては来ない、かけがえのない時間でした。
 一番すばらしい時間だったのに、慌しい時間の中で仕事との両立に躍起になっていて、いつもいつもあなたたちを急き立ててばかりいたお母さんでした。小言ばかり言っていたお母さんでした。あ〜、もう一度あなたたちを育て直したい、やさしい気持ちで一緒に過ごしたいと、お誕生日が来るたびに思ってしまいます。今、クマやキジーにメロメロのお母さんであるがごとく。むろん、無理なことで、せめて孫のためにやさしいおばあちゃんにならなければと思います。
 こんな繰言で始まるなんて、あなたの遮る言葉が聞こえてきそうです。はい、すんませんです。


 あなたが生まれたのは、夕方の5時過ぎでした。5分間隔の陣痛になって12時間もかかりました。とてもきつかったです。分娩室にいたとき、お昼ご飯が運ばれてきました。汗びっしょりの陣痛の苦しみの中で、先生が、「そんな、今は、とても食べられないだろ!」と助産婦さんに言いました。助産婦さんは、「はあ・・・」と言いながら、「それもそうだ。」と思ったようです。でも、お母さんが「いいえ、食べます!」と言ったので、先生が息を吸い込んで目を丸めていました。陣痛の間の2分間で寝たままパクパクと食べ、次の陣痛が来ると、この世も果てのように歯を食いしばっていました。しかし、陣痛が遠のくとまた食べました。陣痛は陣痛、お腹は空いていたのです。先生は、無言であきれたような顔をしていました。
 あなたを生むときは、17kgも体重が増えていました。麟ちゃんのときは、19kgでした。でも、1ヶ月で元に戻りましたからね。(この画像は、ウエスト58cmのスカートに、トレーナーを入れ込んでいます。細かったなあ!)


 3050gのあなたと初めて対面したとき、他の赤ちゃんと比べて、とても色が黒かったので、びっくりしました。髪もしっかり生えていて、乾くと髪の毛がピンピンと立ちました。これは、髪の毛が伸びるまでずっとこの状態でした。ね?赤ちゃんのころの写真を見ると、みんな髪の毛が立っているよね?どんなに寝かせても寝ないんですもの。でもね、後で分かりました。これは、生命力旺盛な証拠だと!
 あなたの食欲はすごかったです。お母さんも想像もつかなかったような巨乳になって、かなりのおっぱいは出ていたのに、生後数ヶ月でそれでも足りなくて他にミルクを200ccとか、一度に平気で400〜500ccくらい飲んでいました。それにあなたの吸引力は、すさまじかったです。やっぱ、食い意地が張っているのはお母さんの子でしたねえ。お腹が空くと、手がつけられないくらい泣きました。 小学校に入るまでは、いつもそうでした。お腹が空くと、もうめちゃくちゃに機嫌が悪くて、口の中に何かを入れない限り治まりませんでした。
 保育園から連れて帰る道すがらも、大きな声で、「お腹が空いたよ〜!」と歩きながら泣き叫んでいましたよ。商店街のおじちゃんやおばちゃんが、「これお食べ!」と食べ物をくれたりしたけれど、お母さんは、もう恥ずかしくて仕方なくって、お迎えに行くときは、必ず何か食べ物持参で行くようになりました。いつも食欲旺盛でした!
 今考えると、それは、とてもすばらしいことだったんだなと思います。だって、おかげで病気らしい病気はしたことがなかったです。風疹もおたふくかぜも、水疱瘡も何てことなかったです。熱さえ出ませんでした。


 ただ、お誕生前くらいからオムツかぶれがひどくて、アトピー状態になりました。布オムツだったのにね。だから、思い切って14ヶ月でオムツを外しました。ちょうど、夏になるところでした。・・・偉かったですよ。ほとんどお漏らしはせずに、ちゃんと「チッチ」っておしっこを教えてくれていたんですよ。おねしょもしませんでしたね。すごいよね〜!
 歩き出したのは、お誕生日より2週間早く、ちょうどおひなさまの日でした。


 生後7ヶ月になると、人見知りをするようになり、お母さんの会社の託児所がきらいだったらしく、週に一度は、保母さんから、「お熱が38度あります。」ってお迎えを促す連絡が入りました。お母さんは、早退ばかりで仕事にならなくて困りました。お迎えに行くと、赤い顔をしてぐったりしていたのに、託児所のドアを出たとたん、いつも嘘のように顔の赤みが取れシャキッとするのですよ。ドアを出た途端にです。
 そう、家から外に出るときも、ドアを出た途端、顔が緊張して引きつるのです。その変わり具合が激しいので、試しにまた家に入ると、柔和な顔に、ドアを出るとまた引きつって・・・。不思議な子でした。感受性が強すぎたんですね。


 お母さんも初めての子でしたから、あなたのご機嫌に一喜一憂して振り回され、かなり神経質に育ててしまいました。あなたが寝ているときは、静かに静かに、抜き足差し足で物音を立てないように歩きました。でも、あなたは、かすかなミシッという音にもビクッと両腕を挙げて目を覚ましていました。そして、眠たいのに眠れないからと火がついたように泣き出すし・・・。疳の虫っていうのでしょうか。
 これは、お母さんが悪かったんですよね。あなたが子育てをやるときは、普通に物音を立てて、少々泣いても心を動揺させないことです。母親の神経質さが子供に移りますからね。(失敗、失敗!)だからその点、麟ちゃんは、楽天的に育てたので、寝てるときにどんなに大きな物音を立てようと大丈夫でしたよ。
 小学校になると、ほんとうによく麟ちゃんの面倒を看てくれていましたね。お母さんは、思います。あなたがいてくれたからずっと働き続けることができたんだと。
 あなたが小学2年生になって、麟ちゃんのお迎えをあなたにお願いするようになりました。夏休みになると、あなたを一人にするのが心配で、3歳の麟ちゃんを、保育園に行かせずにあなたに面倒を看てもらうようにしました。冬休みも、春休みもそうでした。面倒を看ることは大変だと思ったけれど、でも、あなたが一人ぼっちでお昼ご飯を食べるのを想像することの方が心配でした。それに、あのころ住んでいた団地には、下町風情でたくさんの子供たちがみんなで仲良く遊んでいましたしね。けっきょく、みんなで面倒を看てくれたんだものね。いつもいつも我が家は、子供たちでごった返していたし、お母さんがお休みの時には、10数人連れて動物園や大濠公園やいろんなところに遊びに行ったよね?ご近所にも、たくさんお世話になりましたし・・・。


 夏休みのときは、汗をかく麟ちゃんのために何度も着替えをさせて、汚れたものはちゃんとお洗濯までして干してくれていましたね。・・・いいえ、それだけではありません。自分の宿題をして、昼寝をさせて、お昼の食器を洗って、夕方には、お部屋の掃除や床拭きまでして、お母さんが帰宅して食事の用意をしている間に、麟ちゃんをお風呂にも入れてくれていたんですよね。2年生から6年生になるまでずっ〜と!
 今考えると、小さかったあなたに、どうしてそこまでさせたのだろうと悔やみます。あなたは、お母さんを喜ばそうと必死でした。仕事が忙しすぎたお母さんは、あなたのことを理解する余裕もやさしさも持っていませんでした。少しくらい家の中が散らかっててもよかったし、もっとお料理を手抜きしてもよかったのにね。それに、もっともっとあなたに感謝しなければならなかったのにね。


 あなたは、いつも偉かったです。
 2年生の秋、土曜日の午後でした。家の鍵を忘れたと、麟ちゃんの手を引いて、残業をしていたお母さんの仕事場まで歩いて来ましたね。あのとき、麟ちゃんは、まだ3歳でした。ランドセルを1Fのベランダに投げ入れ、麟ちゃんを保育園までお迎えに行って、そのまま連れて来たんでしたね?団地の親しいおばちゃんたちも居たでしょうに、バス代を借りるということも、思いつかなかったのよねえ。小さい子の手を引いて1時間半もかけて、ひたすら天神まで歩いて来たなんて、あの時は、ほんとうにびっくりしました。
 でも、その味をしめて、バスの乗り方も覚えたし、それ以降、よく一人で天神までお買い物に行くようになりましたよね?ほとんどお友達のお誕生日のプレゼントが目的でしたっけ?すご〜く早い天神デビューでした!


 もうひとつ、忘れられない思い出は、3年生の初夏のことです。麟ちゃんが発熱したという、保育園からの連絡がお母さんにちゃんと伝わらなくて、お母さんは、帰宅するまで麟ちゃんのことを知りませんでした。
 団地の庭に帰り着くと、みんなは広場で一生懸命、地区大会のドッヂボールの練習をしていました。「今日はどうして練習していないのかな?」とあなたのことを思いながら家に入ると、あなたは麟ちゃんの傍で、宿題をやっていました。麟ちゃんは寝ていて、横に氷を入れた洗面器、体温計、そして麟ちゃんの頭には冷やしたタオルが載っていました。
 理由を聴いて、びっくりしました。保育園から家に電話があったので、麟ちゃんをお迎えに行ったこと。39度5分の熱があると聞いたので、大きな紙袋を持って、その袋に麟ちゃんのバッグなどを入れ、おんぶして帰ったと。大人の足でも、自宅と保育園間は15分はかかりました。その距離を、まだ3年生になったばかりの小さなあなたが(それもあなたは、3月生まれなのです。)、どれほどの時間をかけて、途中で何度休みながら、おぶって帰ったんだろうと。それも、おぶって大きな荷物も持ちながら。麟ちゃんは、4歳でした。どんなに重たかっただろうと思います。でも、あなたは、何事もなかったような涼しい顔をしていました。あのときばかりは、ずっと涙が止まりませんでした。なんて偉い子なんだろうと思いました。今でも思い出すと、あのころの感情がそのまま蘇ってきます。(つづく)
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