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ヘルパー兼メイドの新しい仕事Vol.12009-08-16
 ブログが長い間、ブランクになっていた理由でもあるのですが、実は、今まで勤めていた有料老人ホームを、4月で辞め、5月から週3日間だけのパートで“デイサービス”に行っています。


 辞めた理由は、施設の方針にどうしても順応することが出来なかったからです。(また別の機会でお話できるかもしれません。)ただ、残してきた愛おしいお年寄りのことを考えると、今でも無性に会いたくなります。お別れしたときのひとりひとりのみなさんの言葉が忘れられません。


 “デイサービス”でも正社員として働きたかったのですが、今年4月からの介護福祉法の改定で、介護福祉士しか採用しない施設が多くなったようです。(介護福祉士は、介護歴3年以上でないと受験資格がありません。)
 「とても良い施設だから行ってご覧なさい!」と元の老人ホームの仲間に勧められて面接を受け勤務することになりました。
 同じ介護の仕事でも、老人ホームとデイサービスでは、形態も性質もかなり違いますし、覚えなければならないことばかりで、今でもそうですがけっこう苦労しています。


 確かに今の施設はとても雰囲気がよく、温かできめ細かいサービスが行き届いています。介護技術も、細心の注意を払って基本に忠実に行われています。
 その上、平均20名近くのご利用者に対して、スタッフは平均7名ですから、以前の老人ホームとは雲泥の差です。老人ホームでは、一人で20名近くを看ていましたから。(デイサービスのお話も、そのうち書きますね。)


 複雑な心境と、またゼロからの慣れない仕事へのスタートでしたが、3ヵ月半、週に4日も休みで贅沢な時間を過ごしてきました。休みの日は、今まで会えなかった人に会ったり、図書館で借りた介護に関する本を読んだり、暗くなるまでガーデニングや菜園での土いじりばかり。


 そんなところへ、先日、驚きの話が降ってきました。
“野の花”の昔のお客さまからの電話で、「弟夫婦と暮らしている87歳の母のヘルパーに行ってくれないだろうか?」という相談でした。


 ヘルパーの仕事が、私には向いているかも?と思い始めていたところでしたのでびっくりしました!“向いているかも?”と思っていても、いざ話が具体的になると、経験がないですし個人契約ですので躊躇しました。あまりにもタイミングが良すぎるのも手伝って、お話を伺いながら戸惑いの笑いがしきり!


 とりあえずは、ご自宅に伺って弟さんのお嫁さんにお会いすることにしました。私のようなもので良いと言ってくださるのか、私は、そこのご家庭には入れそうか、お互いの面接でした。とても緊張しました。


 大きなお屋敷でした。
弟さんに当たるそこの息子さんは、市内で眼科医をされているそうです。お父さまは10年前に亡くなられたそうですが、会社の役員をされていたのだとか。すばらしく裕福なご家庭のように感じました。


 お嫁さんのお話から、ご夫婦とお母さまの3人暮らし。お母さまは、70歳になられるまで開業内科医師をされていたそうで、要介護1、認知症少々(被害妄想大)、不平や愚痴多し、昼夜逆転、プライド強く、気分の起伏も激しいかただということでした。でもそれは、認知症のかた特有のごく当り前のことです。
 近年までずっとお手伝いさんが居られたので、家事は一切なさったことがなく、お湯も沸かせない、洗濯機の使い方もご存じないとか・・・。現在は、週1回、ヘルパーさんが見えられているけれど、介護保険は使っておられないそうです。こんなご家庭では、介護保険を使う必要がないのですね。


 お嫁さんは、自宅でご主人のお仕事の事務処理などされているのですが、手を取られすぎて仕事にならないし、深夜、寝ようとしてお母さまに「おやすみさない」の声をかけると、それからつかまって愚痴を聞かされ睡眠不足にもなられるとかで、少し疲れていらっしゃいました。


 仕事の内容は、一日最低3時間、お話し相手とお母さまのお部屋の掃除だけでいいということでした。でも、私の時間があればもっと多いほうがありがたく、それ以外の仕事も申し出によってはいくらでも歓迎されそうなご様子。時々お泊りもすれば、もっと喜ばれそうです。週3回のご希望でしたが、私の生活もありますので週2回が理想だと申し述べました。
 

 3日後改めて出直し、お母さまにお会いしました。初日にお会いしなかったのは、まだ話の準備ができていなかったので、ワンクッション置くというお嫁さんのお母さまへの配慮からでした。


 午後3時半ごろ、やっとお母さまが起きられました。高くない身長、ちょっと小太りで、杖をつきながらすり足がちに廊下を歩いて来られました。
 “気難しい“と伺っていましたが、お母さまの笑顔を見るなり一目で私はお母さまのことが気に入ってしまいました。


 ソファーに座られるのに私の介助を受けながら、お母さまは、ご自分の話を始められました。
 主なお話は、医者時代にご活躍されたお話でした。内科医だったのに、産婆の仕事もしたこと、週の半分は、夜中の急患で起こされていたこと、溺れた子供がいるからと駆けつけ、水瓶に火を焚かせて瓶を温め、その上に子供を腹ばいに寝かせて水を吐かせたことなど。
 その当時、女医さんは、福岡でも数えるほどの人しかおられなかったそうです、戦後すぐのことです、確かにそうだったでしょう。
 短歌や俳句、山野草、野球(ソフトバンク・ファン)などがお好きなことも分かりました。毎日、新聞2刊を隅々まで読まれるそうです。ひとつは、スポーツ紙でした。子供時代や娘時代も男勝りだったこと、男の友達ばかりが多くてメンコをして勝ちまくっていたことなども。それはそれはとても楽しいお話でした。
 横に座っていらっしゃるお嫁さんが、お母さまが言葉に詰まると、次の言葉や人の名前などを補足して説明してくださいます。もう何度も聴いて暗誦されているのだそうです。(笑)


 「お母さまは、何を召し上がりたいですか?」の私の質問に、
「そうねえ、長年の夢ですが、生まれ故郷で、大根に穴を通して干し大根を作ってました。その干し大根の炊いたのが食べたいです!」
「穴を開けた大根はないですが、私の作った切り干し大根ならあります。それを炊きましょうか?」
「ええ、ええ、食べたいです!」
 いくら裕福な生活をなさっていても、人の郷愁って、案外身近なところにあるものですね。


 お母さまが、私のことをどうにか気に入ってくださったのでお引き受けすることにしました。心は、「大丈夫?」と囁きもしていましたが、流れに乗っかろうと思いました。自信はないのですが、お嫁さんのことも、お母さまのことも助けてあげたくなりました。


 お母さまのことも好きになりましたが、お嫁さんのお人柄に感動したことが、お引き受けすることにした一番の理由です。
 「今のヘルパーさんや元のお手伝いさんは、家事を優先しなければと一生懸命になられるのですが、田崎さんは、どうぞ、母中心で動いてください。母が、何か話したいことがあれば、しっかり何時間でも聴いてあげて下さい。その分家事が出来なくてもかまいません。」
「母がいつも何時に起きるか分かりませんので、とても動きにくいと思いますが、私は、母の時間に合わせています。晩ご飯も、夜の9時半になったりすることがあります。」
「夫は、気が弱いところがあって、母の不穏な状態に遭うと自分がダメージを受けることがあります。ですから、山登りが好きな夫に、なるべく休みの日は外出するように勧めています。夫が元気でいてくれるほうが私も嬉しいですから。」


 笑顔を交えながら真剣に語られるお嫁さんに感動でした!実のお母さまでもないのに、こんなにご主人のお母さまを大切にしておられるのかと。
 少しでもいいから、爪の垢を煎じて飲ませていただきたいものだと思いました。
 そして、この降って湧いたありがたいご縁に、誠実に心を込めてお努めしたいと思いました。


 “野の花”のご縁です。「あなたに出逢えてありがとう!」
コメント
やはり、ひたむきに尽くされる方には、必要な時期にいいご縁が回ってくるのでしょうね。

よりゆとりをもっていいお仕事出来て、ご自分の
時間ももたれるようで、良かったですね。

切干大根喜ばれたでしょう。

私は明日、85歳のとびっきり元気な老婦人と、映画ご一緒します。又その方の素晴らしいお話いつかしますね。
(    宙 2009-08-19)
 宙さま、こんばんは!
 ほんとうに、すてきなご縁にめぐり合いました。
そこのお宅に伺うのが待ち遠しくてなりません。

 ”85歳のとびっきり元気な老婦人”いいですねえ!そんなにお元気な方がいらして。
 仕事柄、高年齢の方のお元気なのを見ますと、こちらまでとても嬉しくなります。

 ところで、どんな映画をご覧になったのでしょうか?
(“野の花” 2009-08-23)
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