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娘の33回目の記念日2010-03-17
 子供たちの誕生日は、一番大切な記念日です。
私の子供として生まれてきてくれたことと、健康で自立した社会生活ができていることに感謝する日です。


 いつも、写真アルバムをめくります。賑やかな笑い声、泣き声、駆け回る姿が浮かびます。
 もう一度すっぽり抱きしめたい、あどけないおしゃべりや訴えに、心の底から耳を傾けてやりたいという想いで一杯になります。


 子供たちが幼かったころは、ずっと一生一緒に暮らせるような錯覚をしていました。しかし、子供たちと暮らせたのは、ほんの一瞬でしかありませんでした。
 子供たちの記念日を重ねるごとに、過ぎ去った年月の長さや子供たちと自分の年齢に驚かされます。
 

 娘の誕生日は、子供だった私が母親として生まれ変わった記念日でもあります。


 私の母が、私を出産したときは結核を患っていたため、同居はしていましたが、私はほとんどの時間を曾祖母や祖母と過ごしていたように思います。その母は、私が10歳のとき38歳で他界しました。(今年は、50回忌です。)
 私は、ずっとずっと母を偲び、母への想いを引きずって子供の心のままで成人しました。優しそうな女の人を見ると憧れ、慈愛に満ちた友達のお母さんを見ると羨ましくてたまりませんでした。


 でも、娘を出産した日の夜、
「もうこれからは、母親を追い求めるのは止めよう。今日からは、私が母親になるんだ。」と、今までの自分に決別した日でもありました。横に寝ている小さな娘を一晩中眺めながら涙が止まりませんでした。ハイ・ファイ・セットの“フィーリング”の歌声がラジオから流れていました。
 たくさんたくさん未熟な母親でしたが、子育てをするということは、同時に子供が親を育ててくれるのですよね。
 幼い子供を目の前にして、紆余曲折、常に自分の生き方をひとつひとつ問われてきたような気がします。私の心が揺れるたびに、子供たちは大波をかぶりながら、それでも必死に私にしがみついてくれていたんだなあと思います。・・・今でしたら、もう少し子供たちの喜びや悲しみや悔しさを汲み取ってやれるのに。


 子育ては、ただ子供を信頼して良いところを認めてやるだけでよかったのだと思います。親の都合を押し付けて叱ったり、急かせたり、型にはめようとしたりしたことは、全くの弊害でしかなかったと気がつきます。それに比べると、子供たちのほうがずっと辛抱強く、逞しくて賢かったような気がします。


 まだ孫には恵まれませんが、子育てへの心残りを、孫に対することで埋め合わせができたら今生での課題は、かなり軽くなりそうです。もうひとつの大きな課題であった、祖母たちへの恩返しは、介護の仕事をすることで清算しようとしています。


 今日の娘からのメールに、
「明日33歳、今まで健康で何事もなく生きてこれたのもお母さんのお陰です。本当にありがとう。
あ〜、33歳。びっくりします(笑い)
誕生日はお母さんに感謝する日です。」
(アメリカ時間の16日に送信)


 そして、メールの末尾は、いつも“火の用心“と“安全運転“への注意喚起で締め括られています。あれだけいつも言われ続けると、寝るとき、外出時、運転中、必ず娘の声が聴こえてきます。


 私の一番の財産は、子供たちのアルバムと、小学校時代の日記帳や作文や絵画の作品集、それから子供時代の服です。お金や家が消滅しようとも、子供たちの思い出だけは、死んでも離したくない宝物です。
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