娘がアメリカに住むようになってほぼ9年になるというのに一度も行ったことがありませんでした。仕事が忙しくて余裕がなかったのが一番の理由でしたが、お金もなかったです。ところが、今年の秋には日本に引き上げてきそうだというので、最後のチャンスとばかり意を決して慌てて行ってきました。ずっと行きたい気持ちはありましたし、一度くらい娘の住む場所を見といてやらなければ申し訳ないですから。
私は、この歳になるまで日本から出たことがありませんでした。パスポートなるものを初めて作りました。娘がアメリカにいなければ、まだ数年はどこにも行かなかったかもしれません。
夏時間で日本との時差は13時間(冬は14時間)。往きの飛行予定時間が12時間半、帰りは14時間です。往復の時間が違うのは偏西風の影響だと聞いています。実際は、帰りは13時間で到着しました。
目が覚めて窓を覗くと氷の結晶ができていました。眼下はもうアメリカ。
しかし、まだまだ到着の時間ではないし高度は高いはず。なのに、なぜ下界がこんなにはっきり見えるの?というのが初めての疑問でした。(この画像では、氷に焦点を合わせていますので下界ははっきり写っていません。)
後で判りました。これが大陸性気候なのだと。水蒸気が少ないので雲が全くないのです。
成田を7月2日の午前中に発ったのに、ワシントンD.Cのダレス空港に着いたのも同じ日にちの午前中でした。空の上で後ろ向きに駆けて夜が消滅した不思議。どこで夜がなくなってしまったんだろう?それとも私は、ハツカネズミのように午前中の時間の中を足踏みをしていたのでしょうか?
英語の出来ない私の訪米を娘は神経質すぎるほど気を遣ってくれ、入国審査のときの手順や想定問答を文書にして事前に送ってくれましたので、飛行機の中で真面目に学習しました。
「日本人みたいにやさしくないのよ。」
「税関の人などけっこう意地の悪い質問するから・・・。食べ物を持ってきたか?と訊かれてもNO!と答えるのよ。取り上げてしまう人もいるから注意してね。」
などと言って脅されていましたので。
「で、食べ物を持ってきていることがばれたら?」
「そのときは、忘れていました。ごめんなさい。」って言って!
(あれほどの食べ物を持参していたのに、”忘れてた”とはあまりにも白々しいではないか!?)
「相手の人が何を言っているかわからないときは、私が書いたお手紙を見せてね。」と過保護な娘。
でも、ありがたいことに、み〜んな笑顔でとってもやさしい人たちでした。「Thank you!」「Have a nice day!」の言葉に送られて、無事に入国できたことに安堵しました。
そうそう、「34番に並んで!」と言われたとき、私は番号を間違えてはいけないと思い、「thirty four?」と指を折って念を押すと、「three four!」と笑顔で教えてくれたイケメンのお兄さん。ささやかな親切が嬉しい初めての入国審査。英語ができないからこんなことに感謝できる幸せ!
今回のアメリカ旅行で確かめたかったことのひとつに、「私は時差ぼけをしないのではないか?」ということでした。そして、やっぱりしないということが判りました。
理由は、元々夜型人間なので徹夜は得意ですし、いつだってどんなところだって眠れるからです。時間さえあればお昼寝も得意です。12時間以上も乗っていて半分は寝ていましたから時差ぼけの余地はやっぱりなかったのでしょう。 |
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娘が働いているのはワシントンD.C、住んでいるのは、D.Cに隣接しているバージニア州のアーリントンということろです。ワシントンD.C.からポトマック川を西に渡るとすぐにアーリントンです。
疲れているだろう私を気遣って、娘は空港からタクシーに乗ろうと言ってくれたのですが、公共の乗り物に乗ってみたくてダレス空港からバス、そして地下鉄を利用しました。
地下鉄のエスカレーターは故障して動きませんでした。
「いつもどっか故障してるの。すぐに修理はするんだけど当たり前なの、こんなこと。」と娘。ふんふん。
どこかで何かトラブルがあっても、日本のように几帳面に駆けつけてくれないことはよく聞いていましたから。
地下鉄の駅はとても広いけれど薄暗いドームのようです。(・・・こんなところで犯罪が起きても当たり前だろうなと、日本人的発想。) |
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地下鉄を降りて地上に出るとすぐ前がアパートでした。とても落ち着いたきれいな街です。整然としています。この画像ではそのようには見えませんが、面白く感じたのは、信号機です。信号柱って物はなくて、リールに信号機がぶら下がっているんですよ〜。風が吹くとブラブラ揺れるんだそうです。(拡大画像で見てみてください。6個の信号機が写っています。)
ゆったりとした道路の脇には、あちこちに車の縦列駐車が見られます。路上駐車が当たり前で、そのために道路幅が広く取られているのです。有料駐車場なんてものはありません。へ〜え、国土が広いとこんなんですよね。
ペンタゴン(国防総省)などの連邦政府機関が多くある場所で、そんな環境からアメリカでも最も教育が進み世帯収入が高い安定した都市だということです。 |
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そう、この都市は家賃がとても高いのだそうです。娘のアパートも20万円だとか・・・!東京並みかそれ以上ではありませんか!貧しい母にはとても考えられません。
右の画像は、アパートの廊下です。まるでホテルみたい!すれ違う人は、礼儀正しく「ハロー」と言って挨拶をしてくれます。 |
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アパートの1階には、ふたつの共有のリビングやスポーツジムがありました。
「応接室みたいだけど何に使うの?」
「TVを持ってない人が観に来るのよ。」
「TVを持ってない人?」
「ケーブルTV って高いから自分の部屋に付けれない人が多いの。」
・・・部屋やジムの使用料は無料なのだそうです。
生活水準が高い都市だといっても、やっとこさ高い家賃を払って暮らしている人も多いらしく(娘もその一人ですが、)ルームメイトを探して一緒に住んだりするらしいです。見ず知らずの他人と暮らすなんて日本では考えられませんよね。
大陸性気候のアメリカで暮らした一週間、毎日毎日雲ひとつない快晴でした。うんざりするほど。おまけに、すごい炎天下。アメリカの気温は華氏で表すのですが、連日100度を越していました。華氏104度が摂氏40度ですから38度〜39度くらいの気温ということになります。そんな中、日中でもタンクトップ姿でジョギングをしている人の多さには仰天でした!(アメリカ人ってそんなにスタミナがあるのか!?)
なのに、木陰に入ると風があるのでとても涼しいのです。湿度の多い日本と違ってカラッとしています。至る所に緑が茂っています。いろんな種類の野鳥も忙しそうに飛び交っています。
それでも、東海岸の熱波がニュースで報じられていたようですから、私が行ったときが異常に暑かったのでしょう。
初めての外国で、目を白黒させて何にでも驚いてばかりです。最初は、アメリカ訪問のことを簡単に書くつもりでいました。しかし、書き出してみるといつものことながら取り止めもなくいろんな発見や驚きが思い出されてきます。それで、数回に分けて書いてみようと思いました。
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