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還暦祝いPart12011-05-26
 5月にとうとう還暦を迎えました。
 10年刻みの節目ごとに、いつもかすかなショックを覚えていました。20歳、30歳、40歳、でも50歳のときはかなりズシーンときました。60歳は、老人の域に足を入れたことを自覚せよという声がどこからともなく聞こえてくるようでした。


 「お母さん、60歳って赤いチャンチャンコを着るの?」と娘が聞きました。(聞いただけ)そんなものを贈られて昔の人はほんとうに喜んだのでしょうか?今までは何とも思っていなかったのに、わが身に降りかかるとなると他人事ではありません。私だったら、それを見ただけできっと悲しくて泣いてしまうだろうと思いました。(そんなプレゼントを思いつかなくてありがとう!)


 近年いつも一人で迎えていた自分の誕生日、ともすれば忘れてしまいそうな日でもありました。でも今年は、昨秋から一緒に暮らし始めた娘たちがいて、敷地内の離れに住んでいるサトちゃんとチナちゃん(サトチナ)の若夫婦と示し合わせて賑やかに祝ってくれました。
 夜に仕事から帰宅したときのキッチンは、鉢巻を締めんばかりに料理の仕上げをしている娘と、娘のパートナーのひろくん。苦心の料理が所狭しとテーブルに並んでいました。(使用済みの鍋や容器類も散乱していました。そうそう、ノートパソコンまでがテーブルの上にありました。私のパソコンも、レシピのサイトが開いていていました。・・・笑)


 生クリームと苺のかわいいスポンジケーキとメキシコ料理のタコスやスープ。サルサソースやアボガドのワカモリソース、白身魚のハーブ焼きや牛ミンチのあん。驚いたのは、今までほとんど料理をしたことのなかったというひろくんが、ケーキ以外はほとんど作ってくれたのだそうです。すご〜い!(娘だって、帰国してからはほとんど料理をするのを見たことがありません。いつも私の料理を食べるだけです。ほんとうは作れるんですけど。)


 それらの料理をお盆に載せて、ディナー会場である、離れのサトチナ宅へ数往復。サトチナ宅では、タコのカルパッチョやサラダが待っていて、食事の途中で、サトちゃんが海老とそら豆の特製パスタを作ってくれました。サトちゃんは、ホテルに勤めていたとき料理をしていたそうで、パスタ料理はプロ並みの美味しさです!


 シャンパンや赤と白のワインとともにテーブルに載らないくらいのご馳走がありました。みんな特別に料理が得意なわけではないのに、私のために一生懸命貴重な時間を割いて作ってくれたと思うと感激でした。構想、準備、調理・・・大忙しでした。
 娘は、生クリームをホイップするのに張り切りすぎて分離させてしまい作り直したそうです。それを料理の途中に買いにやらされたのはひろくん。
 チナちゃんが作ってくれた手誤ね(てごね)のうどんサラダも、しこしこ麺が格別でした。鮮魚市場に行って品定めするのも、慣れない手で生のタコをさばくのもきっと大変だったでしょう。


 離れの家をリフォームして、農業研修のために広島からやって来たサトチナが住むようになったのは、ちょうど一年前からでした。そして、家族同様に頻繁に一緒に食事をしてきました。まだ一度もブログに書ける機会に恵まれませんでしたが、そんな彼らは、寂しいことにもう6月過ぎには居なくなってしまいます。近日中に、彼らとのすばらしい生活を記さねばと思っています。


 チナちゃんから、”にしむら かえ”さん著の「はるにうまれるこども」という絵本をもらいました。サトちゃんは、竹で作った立派な手製のお菜箸をくれました。お昼に彼らの玄関前で無心に丹念に削っていたのは、私へのプレゼントだったんでした。そんなことも知らない私は、「あ〜ら、また作ってるのね。サトちゃん器用だもんね〜!」と言いながら仕事に出かけた私。(私は、家に戻ってその宝物に、2011.05.24.Sato と記しました。)
 食事が終わって、サトちゃんが、「みんなでひと言ずつあこさんにメッセージを言いましょう。」と提案しました。
 サトちゃんは、「昼間は靖子さん(松尾ほのぼの農園)に、家に帰ったらあこさんにいろんなことを教わった1年間でした。奈緒子さんたちが帰国するまで、僕たちはいつも三人で紙芝居をしたり朗読をしたり、いろんなことを話したのが懐かしいです。今は、奈緒子さんやひろくんたちと賑やかで楽しいです。」と言いました。
「人を呼ぶための料理をするのがどんなに大変かが分かりました。料理屋は大変だったんだろうと想像ができました。」と言ったのはチナちゃんです。
 ひろくんは、「アメリカから帰国して、温かく迎えてくれたことに感謝、自分の親よりも良くしてもらってる。」って言いました。
 娘は、「私は、お母さんんおめでとうとしか言えません。ううう・・・いつまでも元気でいてください。」と。
 そうそう、娘は大切なことも言いました。
「お母さんのために早く孫を作るようにします。」って!


 家に戻り「買い物するだけでも疲れました。」と娘とひろくんが言いました。それだけ一生懸命やってくれたからです。


 娘たちは、何のプレゼントも用意できなかったと申し訳なさそうに言いましたが、手間をかけた料理こそ最高のプレゼントでした。それに、翌日は、唐津方面にクマも連れてのドライブを計画してくれていました。夜もすてきなレストランでのディナーの予約も。手作り料理、ドライブ、ディナーの3つもなんて贅沢すぎます!


 かわいい子供たち、心のこもった美味しい料理とプレゼントをどうもありがとう!
とてもとても美味しかったです!!動けなくなるくらい食べました!
        にしむら かえ著 「はるにうまれるこども」


らいねん とれる むぎ
はるに うまれる こども
今年初めての雪の日に おろす マフラー
こんしゅうまつに よむ ほん
あした かみにささげる おどり
きょう しあがった ドレス
きのう さいた はちうえ
せんしゅうも うたった うた
きょねん たびさきでみかけた しゃしょうさん
20ねんまえ ママがきていた ふく
ことし 20さいになる シロ
20ねんにいちど ひらかれる まつり
おばあさんが おそえてくれた おいのり
おじいさんが おしえてくれた ギャンブル
おかあさんが おしえてくれた はなのししゅう
おとうさんが おしえてくれた ふえ
かくれてよんだ おとなの ほん
せかいに つながる みなと
むすこと こいびとへおくる くびかざりをつくり
むすめと はなを そなえる
まごに わかきひのぶゆうだんを かたる
あさひのなか みずくみに
なみのおとをききながら ひるねし
ゆうぐれを とりとともに いえじにつく
さきにいったひとのため はなをえらび
60かいめの はるを むかえた
60ねんまえと おなじ はる
60ねんごも かわらずやってくる はる
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