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秋の野の花2011-10-23
 雨上がりの日曜日、久しぶりにクマの散歩に出かけました。
近ごろは、ほとんど娘が行くので私の出番はありません。
娘は昨日から佐世保のお友達のところに出かけて留守にしています。
娘のパートナーも、この数ヶ月仕事で鎌倉に行っているので、昨日今日は、久々の安息日です。(ウキウキ♪)


 散歩に行かなくていいのは助かっていましたが、やはり野道を歩かないと、いくら自然の中で暮らしていても野の花を忘れてしまいそうになります。


 散歩に出ると、うん、やっぱり山裾のこの土地が好きだなあ!と思います。
山に囲まれているのに、糸島方面が一望に見渡せて明るく広がっている開放感が好きです。


 この画像は山の方向ですが、手前に枯野のように見えるのは大豆の畑です。
補助金の対象になるので減反の畑に植えられます。
 田んぼに囲まれた農道を突っ切ると、小川が流れています。
夏は、必ずクマが水浴びをしていた場所です。
私は、庭の石採りでお世話になっていた川です。


 もうセイタカアワダチソウが咲いているのかと、野の花音痴になっていたのを知りました。自分の庭の野の花だけしか見ていませんでした。
 娘と再び同居するまで、娘から預かったクマを9年間面倒を看てきました。
そして、私は、クマから散歩を余儀なくされたおかげで毎日毎日、季節ごとの野の花の移り変わりを見ることができ、月の満ち欠けを眺め、首が痛くなるほど満天の星空を眺めて心の詩人になることができました。
忙しかったけれど、それはとても大切な時間でした。
 もちろん、今だって行こうと思えば行くことができるのですが、雑用の多忙さを理由に怠っていました。


 ガーデニングや畑の作業でけっこう肉体労働はしていますが、散歩は足を使うので全身運動にはやはりウォーキングは大切だなあということを思い出しました。


 立ち止まりながら、あるいは時折しゃがみ込んで覗く野の花の可憐さに、いつも心癒されていたことを思い出しました。
 それに、食事の店をしていたときは、季節の野の花は客間に飾る花でもありましたし、箸置きに活けられた小花は(特別オーダーで小さな花瓶になっていました。)料理の演出に一役買ってくれていました。
 席に着かれたお客さまが、テーブルセッティングの箸置きの野の花にまず、「きゃー!」と歓声を上げて喜ばれるのが何よりも楽しみでした。
 “野の花”の店は、野の花が支えていてくれたんだなあと懐かしく思い出されます。
 一人暮らしの生活は、とても気ままで満足しきっていました。
でも、家族が戻ってきて、賑やかに食事をする楽しさを思い出しました。


 いくら料理が好きでも、やりたいことが多すぎて、料理をする時間が惜しく、自分のためには何も作らない私です。
なのに、愛する人のためには、体力と時間の許す限り際限なく料理をしてしまうのです。
あれも作りたい、これも作りたいと作り出すと止まらなくなってしまいます。
「おいしい!」というたったひと言が聞きたいがために。


 昔から家族から文句を言われていることがあります。
「うちは、食べるものが多すぎて作り過ぎ!」だと。
料理を作ってもらえない人が聞けば贅沢なことでしょうが、食べなければならない人は負担にもなりますよね。(笑)


 朝起きるとき、まず考えることは、朝食のメニュー、昼食のメニュー、買い物のこと、そして夜のメニュー。
自分でも驚くのですが、食べさせる人が居ると、私は46時中食べ物のことばかり考えています。


 娘もそうですが、私と一緒に居る人は誰も料理をしようとはしません。
もしかしたら、私に遠慮しているのかもしれません。(?)
私はいつも作る人で、食べる人はいつも片付け役です。
これは、料理をするようになった18歳のころからずっとそうです。
考えてみれば、料理権を誰にも渡さないということなのでしょうか?


 でも、時折誰もいない自分ひとりの時間が訪れると、やはりそれはそれは幸せな安息日です。
たまには、人のために料理をしない日があるのは嬉しいことです。
そして、クマとの散歩の時間が訪れるのもリフレッシュできる大切な時間です。
・・・ほんとうはもっとブログを書ける時間も欲しいです。
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