先日の日曜日(26日)に、オーダーしていたバラのアーチ3基を大きなトラックに積んで、モモちゃんファミリーが取り付けに来てくれました。
モモちゃんは、昔3ヶ月も通い続けて“野の花”の内装を担当してくれた人で、今は亡き私の友人の娘さんです。
彼女のパートナーのタカちゃんは、家業が鉄鋼所だったため、“野の花”の店の鉄材や溶接を必要とする手すりや柵などたくさんお世話になりました。
近年ガーデニングに夢中で、特にバラに恋をしてしまったのでバラの数がどんどん増え続けています。
尤も、バラ栽培の技量もないためまだまだ片想いの状態ですが、きっとそのうち両想いになりたいです。
つるバラをアーチ仕立てにしたくて、ずっとネット販売でのアーチを探していましたが、横幅が3m以上というのはどこにも見つけることができませんでした。
思い余ってモモちゃんに連絡したところ、快く請け合ってくれました。
「うん、タカがやってくれると思うよ。」
モモちゃんのパパは、アマチュアの書道家で、私は彼の書体が大好きだったため、店のオープン時には、看板や暖簾や掛け軸、襖への字などをずいぶん書いてもらいました。
その延長で、モモちゃんも店の内装に同意して尽力してくれました。
その当時、モモちゃんはまだ独身でしたが、モモちゃんの恋人のタカちゃんやふたりの妹、妹のご主人まで引き連れて至極頻繁に通い詰めてくれました。
悩み多き高校生だった頃のモモちゃん、モモちゃんのパパから結婚の承諾を得てぐしゃぐしゃ顔になっていた当時のタカちゃん(私に抱きついて嬉しさを表現していましたよね)、隆平くんを宿したモモちゃん、生まれたばかりの隆平くんを連れて難なく内装の補修に来てくれていたモモちゃん。
遠からず見守っていた私にとって、ふたりが変わることなく睦まじい夫婦であり、かつ立派な親となって元気で可愛い子供を連れて戻って来てくれるのは、ほんとに目が細くなってしまうほど愛しいと思いました。
店を止めてからは、なかなか会う機会も少なっていたのですが、今回の再会で、私にとってかけがえのない大切な存在なのだと思いました。 |
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小学3年生になった隆平くん、年長さんの日和(ひより)ちゃん、とても兄妹仲が良く、外遊びも活発で実に素直に伸び伸びと育っています。
おっとりと笑顔の多い子供たちです。
私の家の中を2階まで探索して回り、猫のキジーを追っかけ回し、庭を飛び跳ね、買い物について来て、日頃なかなか買ってもらえない流行キャラクターのオマケ付きのお菓子を買うことに夢中になり、昼食の準備をする横から、野菜の切れ端やハムを横取りして口に入れ、昼食の焼きたてパンのサンドイッチやポトフを大人顔負けに平らげ、その上用意しておいた数種類のお菓子類もあっという間に食べ尽くす食欲には感心しました。(食欲は意欲!)
わがままを言うわけでもなく、騒がしいわけでもなく、それでも子供らしい行為をモモちゃんが言葉短かに嗜めるとはにかんですぐに治まります。
そんな子供たちを見ていると、子育ての上手さに感心させられます。
“干渉し過ぎず、動ぜず“の親としての姿勢は、私には到底真似ができません。
タカちゃんもモモちゃんも、寡黙な人です。
ですから、初対面はとっつき悪く無愛想な印象を受けます。
お愛想など決して言いません。
無駄口もたたきません。
でも、話をし出すと会話は静かに続きます。
モモちゃんは昔から芸術家でした。
学校の頃から自分の部屋を自由に大掛かりな内装をして遊んでいたようです。
そのうち、木工をやるようになり、店舗の内装の仕事を請け負うようになり、自分の家も自らが設計して、どこにも見当たらないような機能的でユニークな家に仕上がっています。
モモちゃんのすごさは、ガラクタ類に見えるものが一旦彼女の手にかかると生き生きとした芸術品に変身することです。
それに、辛抱強さです。
私の家でも、捨ててあった雨戸が玄関の靴箱になり、炭を入れて使う昔の炬燵が風情あるランプになり、500円の銅製の洗面器が電気の傘になり、廃材だった敷居が本棚や本箱や飾り棚に化けるといった具合で、家の中を見回すと彼女の作品が数知れず溢れています。
いろんな場所の壁の漆喰も全て一人で塗り上げました。
玄関の土間に貼ってあったタイルを丸一日かけて金槌とノミで剥がすときも、二重にはめていた軍手がボロボロに破れるほど力の要る作業だったのに、“手がだるい”、“疲れた“の一言も漏らしませんでした。
愚痴も言わず弱音も吐かず平然としていました。
(モモちゃんが居ないときに、私も試しにやってみましたが、いくら力を入れても一枚も剥がすことができませんでした。)
そんな作業の過程で、一緒にリフォームをしてくれていた大工さんと交わしていた話を思い出します。
彼女は、見えない裏の作業まで手を抜かなかったので、大工のシーちゃんが、「そんなところまで!」と、暗に無駄な作業だとほのめかしたのです。
すると、彼女は言いました。
「だって、いつか解体したときに、え?中身はこんなに雑だったの?って思われるの嫌だもん!」と。 |
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庭で野菜も作っています。
料理も好きで、発想が独創的なので創作料理が得意です。
山野草や身近にある食材を使って、手間暇かけて自然食料理やお菓子作りを楽しんでいます。
今回は、彼女が作った“ゆべし”なるものをお土産にいただきました。
“ゆべし”とは、柚子の実をくり抜いて“柚子がま“を作り、その中に胡桃を加えた練り味噌を詰めて鍋で蒸し、和紙で包んで寒晒しにしたものです。
薄切りにしていただく、高級で上品な保存食です。
私は、まだ作ったことがありません。
おばあちゃん子で育った彼女の料理も、おばあちゃんの素朴な料理が原点となっているようです。
10年以上も前のことですが、彼女が内装を手がけてくれている頃、最愛のキキをいう猫を猫エイズで亡くしました。
仲間の大工さんたちや他の友達の応援隊も住み込みで作業をしてくれていた時でした。
落胆し過ぎていた私は、翌日は、彼らの食事の世話さえできずに抜け殻のようになっていました。
昼頃になって寝室から下に降りて行った私を、彼女はじっと見詰めるだけで何にも言いませんでした。
しかし、一晩中抱いて一緒に寝ていたキキを埋葬せねばならず、モモちゃんにその旨を告げました。
「どうしたいと?」
「棺を作って埋めてやりたい・・・」
そしたら、モモちゃんは納谷から木切れを持ってきて採寸し鉛筆で型を付けて、
「ここ切って!」
「次、ここ!」
「ここに釘を打って!」
と最低の言葉だけで私に指示をし、のこぎりの使い方も覚束ない私に何の手伝いもせずに黙って見ているだけでした。
私は、そのとき、彼女の心からの思いやりと労りを感じ取りました。
私の悲しみに何の慰めも言わず、黙って見守るという“やさしさ”の究極なるものを教えられた気がしました。
私は、その時に初めて知りました。
人の深い悲しみの前には、どんな言葉も癒す力がないということを。
黙ってくれていることがどれほどありがたかったことか。
言葉は、却ってその人の心を悲しみに誘います。
慰めの言葉に返事をしなければならないときは、血が滲むような気持ちがします。
それ以来、私も、お葬式に出席したときは、お辞儀をするだけで一言も言葉を発しないことにしました。
今回のチッチの不慮の事故で慰めの言葉を下さった方々、ごめんなさい。
・・・電話でお話をするときは、何か言わなければ伝わらないのですから、どうしようもなく、もちろん、それはそれでお気持ちは十分嬉しかったです。 |
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ふたりの子供の母親になってモモちゃんは、子供たちの“ママ友”とのお付き合いに少々悩んでいます。
思いっきり泥んこ遊びをさせることに感謝をしてくれる“ママ友”ばかりではないこと、遊びに行った友達の家で、市販のスナック菓子を食べさせられること、ゲームばかりをしたがる子の影響を受けつつあること等です。
でも、幸い、彼女の子供たちは、市販のスナック菓子は、「からすぎる(塩っぱ過ぎる)」!」と言うようになったそうです。
ゲームだけは、そのうち避けられないだろうと覚悟をしていました。
そうそう、その日にショッピングモールで可愛いお弁当箱を見つけたので、買い物に同伴してきた子供たちに、「ねえ、お弁当箱要らない?」と言ったら、
「いら〜ん!」と隆平くんが言いました。
「あら、そう、・・・どんなもの使っているの?」
「母ちゃんが使っていた、木で出来たやつ。最近、修理してくれたよ!」
(そう、彼らは、父ちゃん、母ちゃんと呼ぶのです。)
後からモモちゃんに話を訊くと、漆のお弁当箱で、輪っかが外れたので新しい輪っかを作って補修したのだそうです。
学校でも、友達から“格好良い!”と褒められるので誇りに思っているということでした。
「家も、ちょっと変わっているけん、みんなから格好良いと言われて、その気になってるとよ。」
うん、すばらしいです!脱帽!! |
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そんなモモちゃんの気骨ある生き方は、人の心の機微や捨てられてゴミになってしまった物にまで満遍なく愛情が注がれている気がして、彼女の中では根源は一緒なのだなと思えました。
夫のタカちゃんは、そんなモモちゃんに一歩下がるようにして、彼女を無言でしっかりサポートしています。
彼のモモちゃんを見る目がとてもやさしい!
相変わらずの“恋女房“であることが、私を幸せな気分にしてくれます。
最後になりましたが、タカちゃんは、右手の人差し指を機械に挟まれて爪もない状態だったらしいです。(包帯をしていました。)、
これまた何食わぬ顔で作業に終始してくれました。
彼もまた相当に我慢強い人です。
モモちゃんは言います。
「タカの方がずっと辛抱強いとよ。だけん、私たち(夫婦)はもっているとよ!」
昨年末や今年になって仕入れた苗が多いので、アーチを登るのは来年以降になりそうですが、彼らが作ってくれたオーダーメイドのバーゴラとアーチを無駄にすることなく、私はバラ栽培に励もうと思います。
そして、これからは、もっともっと彼らとお付き合いを密にしていきたい(して欲しい)と思いました。
余談ですが、私の“庭のアルバム”は、サーバーが満杯になってしまったので、UPできなくなりました。現在移行準備中です。・・・私が、ではなくて、私のお抱えのSE(システムエンジニア)さんが、です。こちらにもずっとお世話になりっぱなしです。
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