トップ 庭のアルバム 野の花ブログ Myレシピ
      
 ※各画像をクリックすると、拡大画像がご覧になれます。
伊良部島(いらぶとう)の遠き思い出2015-02-05
 沖縄県宮古島伊良部に大橋が完成したことを、ニュースで突然知りました。(2015.01.31開通)
橋が建設中だったことも知りませんでした。
伊良部と聞いて、心の奥から懐かしさが溢れ出しました。
もう20年近く前のことです。仲の良かった友人とふたりで3月末に伊良部を訪れたことがありました。


 伊良部島は沖縄の宮古島からフェリーで15分ほどの島でした。
夕方到着してすぐさまタクシーに乗り込みましたが、島上陸の第一印象は、その時の運転手さんがびっくりするほど無愛想だったことです。
しかし、初めての伊良部島訪問でハイテンションだった私は、その運転手さんに次々に質問しました。
「この島って1周何キロくらいあるんですか?」
「この島には、観光バスとかあるんですか?」
「じゃあ、どうやったら島の観光ができますか?」
「ここの島の見どころってどんなところですか?」


 最初は、行先を告げても返事もしてくれなかった運転手さんが、次第に面倒くさそうに返事をしてくれるようになって、そのうち打ち解けて、宿泊先の民宿に到着するまでのわずか数分間で、みごとに普段着のおじさんに変身してくれました。
「この時期、“さにつ“って言って、旧暦の3月3日になるんだ。一年中でいちばん潮が引くさ。
そしたら、島の連中はみんな浜さ降りるんだ。生まれたての赤ちゃんでもね。身を清めるためにさ。そして、潮干狩りをするね。」
「潮干狩り?何が採れるんですか?アサリ貝とか?」(・・・その当時の潮干狩りに関する私の常識は、アサリ貝掘りでした。)
「いいや、サザエとかシャコ貝だね。」
「へえ〜!シャコ貝!知らないなあ〜!」
「明日、非番だから島を案内しようか?」
「わあ〜、ほんと?・・・でも、それっておいくらかかりますか?」
「金なんて要らねえよ。非番だからタダさ。」
「へ?・・・タダ〜!?」
「ああ!・・・おれは、この島じゃ1,2を争う潮干狩りの名人なんじゃ。」
「へえ〜すご〜い!」
「うん、ほんじゃ、明日の昼前に迎えに来るからよ!潮干狩りにも連れてってやるよ!」
 宿泊先は「カテラ荘」という民宿でした。海の白砂が民宿の庭にもこぼれていて、玄関の床の上にも及んでいました。
出迎えてくれた宿の女主人もこれまた無愛想だったんです。「こんにちは〜!」と笑顔であいさつする私たちを無視して、立ったままの腕組み姿勢で、「ああ!」という言葉なのか呻きなのか分からない声。


 私たちが、靴を脱いでしまうのを待って、
「部屋は2階ね。そこの階段上がって奥の突き当り!」
呆気にとられて、言われるままに2階に上がって部屋を探して突き当りへ。
各部屋のドアはどこも開いていたので分かったのですが、ほとんど飯場化していて(このシーズンだけか?)土木工事や建築現場の作業員用の宿泊施設となっていました。各部屋には、部屋の対角線状に張られた針金に洗濯した作業服が何枚も干されていました。観光客は私たちだけでした。シーズン中は、ダイバー客で賑わうのでしょうか?


 部屋には、コンクリート張りのトイレ兼シャワー室、30年も前のような旧式のTV、それもコインの挿入口あり、クリーニング屋さんのカラー針金のハンガーが数本。石鹸もトイレットペーパーもありません。
階下に降りて行って、「すみませ〜ん、石鹸とトイレットペーパーが欲しいんですけど。」
「あ、そこ!ほら、階段の踊り場の、ほらその扉、そうそう、その中!好きなだけ持って行って!」
「あ、それから、夜は7時までにご飯を食べて!朝は、9時までね!」(本当の時間はどうだったか?)
 無愛想だったタクシーの運転手さんとこれまた無愛想な民宿の女将、お世辞にもきれいとは言えない設備。隣接する隣の部屋との仕切りはべニア板に近かったかも?
 それでも、夜屋上に上るとすばらしい満天の星空。ずっと眺めていたら首が痛くて、私たちは、いたずら心が動き出し、布団を屋上に上げて寝て観ることにしました。女将に見つからないようにそ〜っと!


 翌朝、約束の時間に遅れないように階下の食堂に降りましたが、誰もいません。物音ひとつしません。
しばらく待っても誰も帰ってきません。
厨房を覗くと2人分の朝食をセットしたお盆。
悪いとは思いながら、お味噌汁を温め、ご飯をよそって勝手に食べました。お茶も入れました。

 食べ終わって少し経つと、庭の中へシャーッ!荒っぽい運転で車が入ってきました。
ザクザクザク、トントントン・・・食堂の入り口に立った女将は、「ああ、もう食べた〜!?よかった♪よかった♪」
立ったまま柱にもたれて、「ところで、今日はどうするの?」
「ああ、昨日会ったタクシーの人が、海に連れて行ってくれるって。」
「ああ、そう、よかった!何もすることがなかったら、私が海に連れて行こうと思ってたよ。」
(・・・へ!わりと親切な人なのかも?)


 「あ、それで、お迎えが見えるまで、そこらを散歩したいんだけど、自転車ある?」
「うん、あるよ!」
それからが、ドラマの始まり!
出してくれた自転車は2台とも空気が入っていませんでした。それで、と空気入れを持ってきてくれたけれど故障している。代わりで出てきた3台目も4台目もタイヤがペッチャンコ。
「(坂の)下に、自転車屋さんがあるから、借りてくるよ。」と出かけてくれたけれど、日曜日で誰も居なかったそうです。
 それじゃあ、と今度は、ゴムボート用の空気入れを持ってきて、一生懸命足で踏んでくれました。私たちは、「そんなのじゃ入らないよ。自転車用でなきゃ!」と言いたかったけれど、ほんとうに一生懸命、顔を真っ赤にして力任せに足を上下させているのを見て直ぐには言えませんでした。だけど、もう限界と本人が思ったとき、私たちの我慢も限界で、3人で一斉に大笑いしました。笑いながら、“バカなことしてるけど、なんていい人なんだろう!”と信頼が芽生えた瞬間でした。
 「もういいよ。歩きながら、どこかで空気入れ借りるから。」と言って、私たちはパンク状態の自転車を押しながら出かけました。歩いて数分も行かないうちに、松林の広場で幼稚園から小学校の低学年子供たちが一緒に遊んでいるのを見つけました。
「ねえ、すみませんけど、どこかのおうちに自転車の空気入れはないかしら?
あったら貸して欲しいんですけど。」
間髪も入れずに真っ先に手を挙げた、良い子の見本のような女の子は、やっと小学一年生くらい。
「家にある!」と言ったのと同時、後ろを向いて一目散に走りだしました。目指すその子の家は、数十メートル。
 家の玄関のドアを開けるなり大声でお母さんを呼びました。赤ちゃんを抱いたお母さんが出てこられて、事情を聞き空気入れを持ってきてくれました。しかし、これも壊れていたのでした。
「すみません、主人のがあるのですけど、今出かけていて、あ、でも5分ほどで戻ってきます。」
沖縄独特のコンクリート造りの大きな2階建てのお家でした。
ほんとうに待つまでもなくご主人が戻って見えました。
「○○ちゃん、2階のお父さんの部屋から空気入れ持ってきて!」
女の子は、また疾風のように去って行き戻ってきました。
お父さんは、「お待たせしてすみませんでしたねえ。」と言いながらにこやかに空気を入れてくれました。
私たちは、女の子とご両親に深々と頭を下げてお礼を言いました。

 お昼前、昨日の運転手さんがお迎えに来てくれました。
それも、私たちのために海用の長靴をサイズ別に数足も!それから、おにぎり、おやつ、ペットボトルの水、潮干狩りの道具類を持って!!


 途中、「通り池」という、沖縄県の天然記念物にも指定されている琉球石灰岩でできた池に寄ってくれました。紺碧の2つの池は底で繋がっています。池の深さは水深約40m。外海とつながっているので海から入り、池に浮上することができるダイビングスポットです。人魚伝説も残る神秘的な場所としても有名です。・・・とは、<リトハク>http://cp.okinawastory.jp/ritohaku/post/4663 よりの抜粋です。


 遠浅の初めて見るサンゴ礁でした。海の透明度もすごくて、TVで観た黄や青い魚も泳いでいました。イソギンチャクもサンゴたちもカラフルで、まるでおとぎの国のようでした。
2km(?もう忘れました。)も潮が引くと聞きました。潮が満ち出したら速いから、遅れないように戻るんだぞ、としっかり何度も注意を受けました。
 岩の隙間で大きくなっていったシャコ貝。名前も実物も初めてでした。大きく波打った白い2枚の貝殻、大きさも様々で、岩にはまり込んだ貝を取り出すのは大変でした。サザエもたくさん見つけました。宝石のようなサンゴをなるべく踏まないようにと歩くのですが、サンゴの林の中なのでとても無理でした。
 潮干狩りの後は、白くなって乾いたサンゴを拾って帰りました。運転手さんも一生懸命拾ってると思っていたら、私たちのために拾ってくれているのでした。


 海から上がって民宿に着くと、運転手さんは、「はい、これも!聖子ちゃんに料理してもらいな!」と、自分が採ったものも全部くれました。聖子ちゃんとは、民宿の女将のことです。
 別れ間際、
「そいで今夜は、カラオケにでも行くか?」
「きゃ〜、カラオケなんてあるの〜!?」
「3つ4つはあるんだよ。じゃ、予約しておくから、かかあ連れてまた夜に迎えに来るよ。」


 夜は、聖子ちゃんが、昼間に採ったシャコ貝やサザエを料理してくれてテーブルがいっぱいになりました。
だけど、ドライバーさんは約束の時間を過ぎても来てくれず、かなり待ちました。一緒に食べようと思っていました。
 9時前、「いや〜、どこも満員でよ〜!まいったな、どうしよう!」
「じゃあ、仕方ない、うちでやるか!うちのカラオケは古いけど我慢するか?」と聖子ちゃん。
「ああ、じゃあ、そうすっか。あ、でもよ、島見物させてやんなきゃな。カラオケの前に出かけるか?」


 私たちは、先日のタクシーに乗り込みました。
移動しながら、運転手さんは、「ここが町営住宅、何棟も建ってるんだよ。」と案内。
「あ、そこの先が空港なんだけど、9時までなんだよなあ。9時過ぎるとライトが消えて真っ暗になるんだ。本当は立ち入り禁止なんだけど、俺、空港の管理人をやってたから入れるんだ。・・・ま、せっかく来たから入るか!」と、入ったものの、ほんとに真っ暗。こんなんでも、取り敢えずは案内してやりたいと思ってくださったのでしょう。闇の中を、走りながら何のために来たのやらと、内心可笑しくって可笑しくって!


 しかし、ふと窓の外に目をやると、窓の外は、魔法の粉を振りまいたような蛍の乱舞!!!
「ぎゃあ〜〜!!!すご〜い!!!」窓から伸びるだけ首を出して観ていたら、少しだけ回転した首が空を捉えた。
窓の外の景色と見紛うほどの満天の星空!!!蛍と星空の区別がつかない!!!
灯りひとつない真っ暗な空港の敷地に浮かび上がった蛍と星空。
「こんなすごい景色見せてもらえるなんて!お昼のサンゴ礁、漆黒の夜景!お〜〜〜!!!」
涙ながらに叫んでいました。


 帰った民宿で、みんなのカラオケを聴きながらワイワイガヤガヤ。
聖子ちゃんの、「芭蕉布」が心に沁みて泣けました。
聖子ちゃんのご主人も会社から帰って合流され、ノリノリになって立ち上がり手を広げて、「今日は、飲み物も食べ物もカラオケもみ〜んなタダ!」と大声で宣言!私たちは、知り合ったばかりの人たち6人で大いに盛り上がりました。
 翌日は、また海に出ました。今度は聖子ちゃんと。
またまた大収穫で、その日は私も料理を手伝うことにしました。
だって、海に連れて行ってもらって一緒に遊んだのに、聖子ちゃんも疲れていて、引き続き宿泊客のみなさんの料理を作らなければならないのは申し訳ないから。
「今日は、きっと(私)疲れてるから、簡単にと思ってトンカツの用意してるさ。」
「うん、そいじゃあ、私が作ろか?」
「あ、そう?じゃあ、頼むよ。」
それで、結局、10数名分でしたが、トンカツや汁物や和え物を作りました。聖子ちゃんは、海産物の調理や他の準備が忙しそうでした。私は、配膳も、下膳も食器洗いもやりました。そして、聖子ちゃんととても親しくなりました。

 3泊した後に、次は八重干瀬(やびしorやえびし)に予約を取っていたのですが、聖子ちゃんところがあまりにも居心地が良すぎて、八重干瀬をキャンセルして引き続き宿泊することにしました。
すぐ近くにある渡口の浜(とぐちのはま)は、延々と続く真っ白な海岸で、入り江なので波も穏やかです。
もちろん透明度はすごいです。海にプカプカ浮いてずっと空を見ていました。誰もいません、私たちだけです。


 時間があれば、厨房に居て、他愛のないおしゃべりをして料理を手伝いました。
そして、隠しておいたけれど、親しくなったので白状しました。
「あのね、聖子ちゃん、初日の夜に、星を見ながら寝たくて、屋上にお布団敷いたんだ。黙ってたけどごめん。」
「ああ〜、そう。よかったねえ。でも蚊がいたでしょう!」
「うん、うん、いた、いた!」
何事もなかったように笑ってくれました。

※注(八重干瀬(やびじ)は、沖縄県宮古島の北方、池間島の北約5 - 22kmに位置し、南北約 17km、東西約6.5kmにわたって広がる広大なサンゴ礁群である。(Wikipedia))


 出発の朝、清算をするとき、聖子ちゃんは、4500円×5日分の計算をしました。宿泊費は、1泊2食付で4500円だったような気がします。(後で確認したらそうでした。)
「私たち、ジュースもお茶もビールもお酒も飲んだよ!」
「いいよ、いいよ、何にもつけてないから。分かんないもん。」
「呆れた〜!経営者でしょ!ちゃんと付けておかなきゃ!」
「たくさん手伝ってくれたさ。」
(そう言ってくれたのがまた嬉しくて、かなり上乗せして支払いました。)


 「あ、それから、あの運転手さんが朝早く、おみやげ持ってきてくれてるよ。まだあなたたち寝てたから・・・。」
豚肉の味噌漬け、お赤飯・・・あとなんだっけ?数種類の奥さまの手作りが入っていました。
 聖子ちゃんの車で港まで送ってくれました。
ブーゲンビリアの咲き乱れる宮古空港に着いて、伊良部が夢の島だったことを思いました。


 福岡に帰りついて、私たちは、聖子ちゃんと運転手さんにお手紙を添えたお礼の品を送りました。
私は、今でも思います。あのとき聖子ちゃんと運転手さんに教えられて、人生が変わったと。


 「無愛想でいい。普段着のままがいい」、「誰にでも、人には親切にしよう」
どんな無口の人でも、無愛想な人でも気にならなくなりました。お構いなしに私なりにどんな人とでも会話をするようになりました。畏まったお愛想で笑顔を作っていたのを撤廃しました。


 今住んでいる、末永はとてもいいところです。でも、南の島の伊良部島も夢の楽園でした。
「みんな島中の人、知ってるよ。悪い人はいないさ。みんな知ってるから、悪いこと出来ないさ。」と言っていた運転手さん。横浜に長いこと住んでいて、近年戻ってきたって言っていましたっけ。
20年前の記憶ですから、全ては思い出しませんが、大橋の開通を知ってたまらなく懐かしくなりました。
一緒に行った友達は、9年も前に亡くなり、思い出話もできません。
運転手さんも聖子ちゃんもまだ元気でいてくれているでしょうか?
良い子の見本の女の子は、もう20代の後半でしょう。結婚しているでしょうか?お母さんに抱かれていた赤ちゃんは、成人を迎えるころでしょうか?


 降ってきそうな満天の星空も、数千の蛍の乱舞も、何キロと続くサンゴ礁の鮮やかな海も忘れられませんが、でもやはりこうして強烈に思い出されるのは、あの島の人たちの素朴で人間的な温かさ、優しさ、善良さでした。
5分程度のタクシー利用者と運転手さん。ほんとうに、袖振り合ったご縁でした。聖子ちゃんも女の子も。
輝きも透明度も、伊良部の島に負けないほど、私の胸に今でもキラキラと光り続けています。
たくさんの悲しいニュースの中で、ともすれば人を信じられなくなる事もありますが、伊良部の人たちを思い出せば、やはりあれが本来の善良な人間の姿だと思えます。そして、その方がしあわせに決まってます。
私も、そんな日本人を目指したいです。

 伊良部島は、ダイビングスポットが多数あり、かつお漁、さとうきびの生産が主な産業です。


 なお今回の画像は下記の方々のご厚意により拝借することができました。
ありがとうございました。

【写真提供】

沖縄観光コンベンションビューロー
http://cp.okinawastory.jp/ritohaku/post/4663(伊良部島の風景)

離島ドットコム http://www.ritou.com/(カテラ荘の外観)

こちらのサイトにアクセスできない時はURLをコピーしてご覧ください。
このブログの内容にコメントします
前の記事へ
次の記事へ

Copyright:(C) 2003 Nonohana All Rights Reserved