裸木ら美枝誇れる峠道
裸木は今こそ軽き翼かな
裸木ら重なる枝はエッチング
週に最低10往復はしている日向峠の裸木が、今年はやけに魅力的に思えて惚れこんでいます。
カーブの多い峠道を、ハンドルを切りながら目は裸の木々に吸い寄せられてしまいます。
こんなにも美しかったのか!と今まで気が付かなかったのが不思議です。
どの樹形もまるでアートのように、まるでエッチング画のように繊細で、そのスタイルの良さに見とれてしまいます。
枝振りや高低に多少の差はあれ、不思議なことにその樹姿というのは、樹の種類によって共通の統一的特徴があるものなんですね。
今までは、葉や花によって見分けていたものが、裸木を毎日観察するようになって初めてそんなことにも気がつきました。・・・といっても、樹木の名前はほとんど知りません。
そんな当たり前のことにも感動しています。 |
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裸木はすっぴん誇りて凛と立つ
裸木の語りを聴きたし峠道
冬木立裸の真に我想う
思いの丈表したきども舌足りず・・・この数週間、感動の思いを表現したくて俳句を試みますが、私の技量ではいくつ作っても表現できません。
裸木の美しさ、それは樹形だけでなく、物を捨て去ったすっぴんの状態で堂々と、凛々と、怯むことなく寒風と冬空に身を任せている姿です。
すっぴんの真(まこと)、すなわち、「これが私です。」と立っている自然の様に心惹かれるのです。
裸木は、何にも、これっぽっちも誇ってはいないのですが、私から見ればその堂々たる姿が偉大で、”誇り”の言葉を連想させます。
色即是空 空即是色・・・、人生の旅の中で、人は日々瞬時に、目まぐるしく心が変わります。
昨日まで気が付かなかったものに、人生の機微を気付かされます。
好きだと思わなかったことが、急に好きになります。
つまらないと思っていたことに、急に偉大さを見出すようになります。 |
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40代のころ、ガイヤシンフォニーの製作者「龍村 仁さん」という映画監督の著書に出逢い、般若心経の「色即是空 空即是色」をビジュアル的に表現した文章を読んだことがありました。
いろんな僧が、この言葉の意味を解説していますが、理屈っぽくてちっとも明瞭ではないのです。
でも、龍村さんは、さすが映画監督です。
彼は、チベット教の祭典に使われる砂曼荼羅(すなまんだら)で表現しました。
砂曼荼羅は、チベット教の僧がひと月近くもかけて色を付けた砂で緻密に曼荼羅を描き上げるものです。
その出来上がった曼荼羅は、まるでその中に仏が座しているように崇め立てられます。
ですが、祭典が終わると未練なくサッと川に流されてしまうのです。
龍村さんは、そのさまを「色即是空 空即是色」と言いました。
「色」は目に見えるとされる物象であり、「空」は何もないことです。
今まであったと思ったものが、「空」になり、人の心の中の映像として残れば、その人にとっては「色」になるのです。
人々の心のありようによって、物象、現象、想像は具現化もされ、あるいはその反対に存在もしません。
裸木を見て、今の私に何が見えているのかが知りたくてたまりません。
裸木が私に語りかけるもの、私の「色」の世界がそこにあります。
裸木を見つめる先に「色」のあり
*運転中の撮影にて、お気に入りの姿を写すことができませんでした。
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