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スローライフって?2007-03-07
 先日のTVQ「きらり九州めぐり逢い」の放送を観て、ずっと気になっていたことがあります。それは、リポーターの寿さんの番組最後の締めくくりの言葉です。テーマがスローライフでした。          この方が、リポーターの寿一美さんです。⇒


 『スローライフって、ゆったりした時間を過ごすことかと考えていたんですけど、“野の花”の田崎さんが言われましたよね・・・』で始まる言葉です。
 『やりたいことが多すぎるから、一日24時間あっても、48時間あっても足りない。しかし、それは時間に追われているんじゃなくって、自分のやりたいことを、やりたいようにするために必要な時間であって、自分の好きな時間だから、そんな過ごし方で暮らしも心も豊かになる・・・』と。


 確かにそんな話もしたのですが、私が言った肝心の部分がぬけていたなあと思うのです。(寿さん、ごめんなさい!)
 人の口から離れた言葉が、どんどん他人歩きをしてしまうというのは仕方のないことです。しかし、そんなことから、寿さんの言葉を訂正したいというより、改めてスローライフについて考えてみたいと思いました。


 ファースト・フードは、インスタント食品などの素早くできる手軽な食品、または食事のことです。反対に、スロー・フードとは、手間をかけて作った食事のことです。
 ですから、スローライフって、田舎暮らしだけに限らず、手間隙かけながら生活をするという意味ではないかと思うのです。時間のかかることを、今のこの時間を大切にしながらゆっくりと仕上げる(過ごす)こと。要するに時間がかかる(時間をかける)生活だから「スローライフ」。つまり、むかし電気製品も少なかった時代、便利なグッズもなかった時代の、工夫を凝らした擬似再現的生活ということになるのでしょうか?


 私の子供時代は、川で洗濯をし、薪でご飯を炊き、夏は炊いたご飯が悪くならないようにざるに入れて天井から吊るしました。祖母は機を織って着物を作り、布団も自宅で作るのが当たり前でしたし、簡単な大工仕事は父の仕事でした。味噌、醤油、子供のおやつも手作りでした。家族も多く、鶏やヤギも飼っていました。貧しかったけれど心の豊かさがあったように思います。


 今の時代、お金さえあれば大抵のものは手に入ります。外食産業や電気製品の普及で、空いた時間を他のことに回せるようになりました。しかし、合理性と便利さを追求してきた結果、心がどこかに置き去りにされているような気がしてなりません。人々の知恵と工夫で時間をかけて作業をするというその過程に、とても大切な心が隠されていたように思うのです。


 ”心”って見えないものですが、霊や超常現象は信じない人でも、心の存在を否定する人はいないと思います。見えなくとも、心は確かに存在していますし、大きな役割を果たしています。
 何かを作るとき、自分だけのために作るのであれば手抜きするときもありましょうが、人のために作るとき、イメージを膨らませ、それを使う(あるいは食べる)人のことを考え、材料を揃え、その人のために心をこめて作ります。ですから、発案から完成までには、それなりの時間がかかります。このかかった時間の過程において、”じんわり”と心が注ぎ込まれる。それがけっして立派な作品ではなく、いびつであっても、見かけが悪くても心が宿っているのではないかと思うのです。そこには、作った人の味わいとメッセージが息づいています。
“心を込める”ってそんなことなんですよね。


 私が、天然酵母のパンを作るようになって気付いたことですが、醗酵機や室温を上げて醗酵させるより、低温醗酵で長いこと時間をかけて醗酵させるほうが、びっくりするほどまろやかな甘みがつくのです。・・・お仕事は、丁寧にゆっくりやれば味が出るってことみたいです!


 生活するものすべてを手作りというわけにはいきませんが、面倒でも時間の許す限り自分の好きなことを時間をかけて楽しんでみる。・・・出来上がったときの穏やかで満ち足りた気持ちは格別です!
 もの作りだけに限らず、人をゆっくり味わったり(お付き合いする)、伝統文化を再現したり、自然と対話をしたりすること、そんなこともスローライフのひとつではないかと思ったりしています。


 大忙しに現役の仕事に貢献されている方には無理なことでしょうが、これから団塊の世代の方々が、かつての古き良き時代を懐かしんでスローライフを送られるというのも多くなるのではないでしょうか。


 私自身、お金がないことで助けられていることも多いです。
 お金があれば、庭のリフォームも、料理のときの下ごしらえも、山菜採り、野菜作りもみんな業者に委託をするかもしれません。お金にものを言わせてスタッフをあごで使うかもしれません。人から頂き物をしても、「そんなものよりもっと上等なものが買える!」と感謝もしないかもしれません。
・・・神様が助けてくれているんだなあと思います。傲慢な私のために。
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