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平成16年10月27日(水)

シンガーソングライター 【梅原 司平さん】ライブ 
in
 野の花



うめはら しへい

平和と人間愛を歌う、深く透き通る声



いじめ、不登校、非行、そして幼児虐待

いったいこの国はどうなってしまったんだ

豊かだといわれているこの日本は

本当に豊かなんだろうか?

人間らしさや優しさは、

どこへいってしまったんだ

教育、人権、環境、平和、

歌わずにはいられない熱いメッセージを歌う

 

18:30 開場 19:00 開演

  ◆会費◆ \3,000 (1ドリンク付き)

  ◆会場◆  のほほん処 “野の花”

 

   
      
                         【 プロフィール 】

     富山県出身

   1971 歌声喫茶「赤とんぼ」開店。
   1975 全国シャンソンコンクール決勝進出。
   1976 シャンソンの店の専属歌手として埼玉県浦和へ。
   1979 CBSソニーオーディション'79関東甲信越代表。
   1982 フリーとなり、「オリジナルコンサート」活動開始。
   1985 1stアルバム「君の人生に乾杯」(音楽センター)
   1988 センタープロダクションの専属となる。
      様々な社会問題に目を向けた多くの作品を生みだし、
      全国各地でのコンサート活動を活発に展開。
      またCD、エッセイ集を多数発表してきた。
   1997 いじめや不登校に悩んでいる子どもたちへの思いを
      歌った「ここへおいで」を発表。
      以来、学校や教育関係の公演が急激に増えてきた。
   1999 朝日新聞「この人が読みたい」に掲載され、
      注目を集める。
   2001 歌手生活30周年を記念して1月にCD3枚組の
      ベストアルバムを発売。
      また7月には、CD2枚組の「トーク&コンサート」の
      ライブ版を発売。
      9月に中野サンプラザ30周年記念コンサート。
   2002 初めてのDVD「時代の記憶」発売。
   2003 4月NHKラジオ「ラジオ深夜便」に2夜つづけて出演。
      大反響を巻き起
      こす。 6月同CD発売

 
写真提供は、今回もSNFの藤島 正稔さんです
”野の花”のための写真撮影に追われて、
ゆっくりしていただくことができません
しかし、分かっていても
藤島さんの写真は捨てがたいのです

(あんまり甘えすぎ!はい)
 
お客様をお迎えする時は、胸がときめきます
 今日は、スタッフも着物姿でお出迎え


「司平さんに来ていただけて夢のようです。」

ご挨拶も、緊張して
頭の中が真っ白になってしまいました



 




 



    「何で私が、このようなところに
     立っているのでしょうか?
     突然招かれて、”野の花”に来てしまいました。
     いつものピアニストも居ない、
     まして靴も履いていません。
     損を覚悟でやって来ました。」
     (”野の花”はピアノストのギャラまで
     払う余裕が なかったからです。)


軽快な滑り出しで、たちまちお客様の心を掴みます






僕は、高校や中学校を主に回っています
かといって、僕は教育の専門家ではありません
反対に、富山県立富山工業高等学校の
木材工芸科を出たようなものです

小学校の頃、人目を引きたくて
いたずらばかりをやってきました
いつも教室の外に立たされていました
しかし、佐々木先生は、
僕のことを捨てませんでした
音楽の時間になると
僕に歌を歌わせてくれました
歌しか歌えない僕に、
出番を与えてくれたのです

ずっと売れない歌手をやってきました
でも、売れない歌手でよかったと本気で思っています
売れなかったからこそ、いろんな方々と
心を通わせて 向き合ってくることができました


 



僕は戦争は嫌いです
「どのような戦争にも正義はありません」

「政治は、光の届かないところにこそ
光を与えるべきです」


「ときめきを忘れない大人でいたいと思います」

 




「便利さと豊かさとは違うような気がします
日本は、本当に豊かなのでしょうか?」

聴き入る目線の先は、平和への思い・・・


「豊かそうに見えて豊かじゃないのが今の世の中です
そして、今問われているのが人間のコミュニケーションです」


お客様は、自分の心の奥に深く入ってしまって・・・




お客様からのアンコールで
「折り鶴」が再び始まりました
「みなさんもご一緒に!」で歌声が輪になって、
(店主の私は、溢れる涙が止めどなく・・・)



そして次から次へと心がつながっていきました
どなたから始まったんでしょうか?
みなさんがお隣の方、後ろの方と手をつながれ、
会場がひとつになりました
何だか、ものすごいスピリットの世界に
なってしまいました


長崎の原爆で娘を亡くした、
京都の綾部市に住むおばあちゃんが、
綾部中学校の生徒会に、
毎年折り鶴を届けていました。
修学旅行で行く長崎の平和公園に
折り鶴を届けてきて欲しいと。


「折り鶴」の歌

♪ 生きていて良かった
それを感じたくて
広島の町から私は歩いてきた
苦しみを言葉に 悲しみを怒りに
傷ついた身体でここまで歩いてきた
この耳をふさいでも聴こえる声がある
この心閉ざしても溢れる愛がある

はばたけ折り鶴 私からあなたへ
はばたけ折り鶴 あなたから世界へ


「今は、広島や長崎に修学旅行に行く
生徒さんや学校で歌われるようになりました。」

 





「実は、私も原爆の被害者です。
でも今日、
やっぱり生きていて良かったと思いました・・・」

司平さんのステージ終了後に
嗚咽をこらえながら、みなさんの前で
話してくださったご婦人(写真 左下中央)の語りは
一入(ひとしお)の感動でした


会場のお客様は、
その言葉を一言も聞き漏らすまいと
耳と心をそばだてました


「ありがとうございました」








用意してあったCDは、たちまち売切れてしまいました
握手、そしてサインも快く・・・




今回も、予定時間を遥かにオーバー
夕方は曇っていた空も、
ライブが終わったころの夜空には、
十四夜の月が皓々と冴えわたっていました


ライブ後の慰労会

 

意外に食が細い司平さん
「何でもおいしいです!」
とはおっしゃってくださったのですが・・・
「アルコールもそんなに飲めないんです。」


この手前にいるお兄さんは、
実は司平さんの専属ピアニストです
ピアニストまで雇えなかったのが残念でした
きっと、腕が鳴って仕方がなかったことでしょう
ビール一杯で、顔が真っ赤です

お向かいの家の有弘さん、和代さん夫妻も一緒です

 


中央は、この司平さんとの縁を取り持ってくれた”緒方 洋二さん”


司平さんのために、お客様から
手作りのケーキ、天然酵母パン、おまんじゅうの
差し入れもありました

 
   店主と梅原司平さんとの出会い(ライブ実現まで) 】

  昨年の春、大分県中津市の知人から、梅原さんの歌を吹き込んだカセットテープをもらいました。
  それは、その知人が、中津市のホールで梅原さんのライブをするための宣伝に作成したデモ・テープ
   でした。
  私は、たちまちにして梅原さんの、心地よい癒しの声に魅せられて、少し遠いけれどライブには、
   絶対行こうと思いました。
  ライブの日は、5月中旬。
  しかし、ライブの翌日は、仕事の都合上どうしても行くことができなくなりました。
  とても、とても残念でした。

  ところが7月に、わが町、前原市の文化会館に、(私に言わせれば)突然、彼がやって来ました。
  勿論、聴きに行きました。
  やっぱり、生は素晴らしいです。なんて素敵な声なのでしょう!

  そして今度は、大胆にも、”野の花”にも来て欲しいと思いました。
  Internetで調べて、京都の事務局にTELをしました。
  そしたら、何と、ギャラが50〜80万円もするというのです。
  貧乏な”野の花”では、とてもやれません。
  「特別欲しいものでも、決して無理をしない。チャンスがなかったのだ。」
  こう思うのが、私のライフスタイルのひとつです。
  諦めるより他はありません。

  なのに、なのに、チャンスがやって来ました。
  6月末に”野の花”でやった「大口 純一郎さん」のジャズ・ライブに来てくださったお客様で、
  ( 元の職場の知人ですが)、その人が、いきなり言うのです。
  「 梅原司平さんが好きなんだそうですね。」って。
  「僕の兄貴も、昔バンドを組んでいて、梅原さんとジョイントしたこともあるし、知っているんです。
  よかったら、事務局に話をしてあげましょうか?」
  「YES!YES!」と私。

  そして、数日後には、北九州の事務局から連絡をいただきました。
  「”野の花”さんのことは、いろいろ伺いました。予算のことも、店のことも。
  ピアニストや、音響装置なしで、梅原さんのソロのギター弾き語りでよければ、
  あなたのご希望に添うことができます。10月に北九州に見えるので、その前日ならばOKです。」

  ”野の花”は、ミュージシャンの方の日にちを選べる余裕はありません 。
  勿論、来てくださるだけで十分です。
  私にとっては、夢のようです。

  執着をしないで、しかし熱い希望は捨てない。
  これが、夢をかなえることのできる最善の方法なのかもしれません。


   


【 梅原司平の部屋  】 - 公式HPより-

▼[アジアの子どもたちは今 ]

   私自身の趣味からするとフィクションよりもノンフィクションの方が好きです。
   小説ならストーリーの展開もそうですが、
   主人公や脇役の性格描写や生き様にこだわったものを好んで読みます。

   そんな中で、久しぶりにズーンとくる本にやっと出会いました。
   本というよりも講演を書き起こした講述録です。薄っぺらな小冊子です 。
   本は薄っぺらでも中身は分厚いのです。
   講演者は、NGO沖縄アジアチャイルドサポートの代表理事・池間哲朗さんです。
   愛知県の北方中学校で話されたものがまとめられてあります。
   ちょっと長いタイトルですが「閉ざされた世界の中で懸命に生きる子どもたち」
   と書かれてあります。

   まずは自己紹介にはじまります。
   その後、先進国と開発途上国、貧しさが原因で毎日4万人が死んでいる、
   一年間で1500万人が亡くなる、その内の90パーセント以上が子ども、
   など今世界の人々はどういった状況にあるかが次々と明らかにされていきます。

   地球上63億の人々が生きるための食料は充分あります。
   しかし、先進国と呼ばれるわずか20%の人々が世界の食糧の70%を食べつくしてしまっています。
   世界人口の7%のアメリカと日本だけで、世界の食糧とエネルギーを半分近く消費しています。
   日本人の食料の2割から3割は残飯です。一方今日の食べ物さえも手に入らない人々が
   6億人以上もいます。

   突き付けられたこの現実を私たちはどうとらえたらいいのでしょうか? 
   これでは世界から悪者扱いされても当然です。
   私たちの飽食の裏側で命を亡くしていく人々が居るということを否定することは出来ません。
   直接には手は下さないにしても、ある意味では殺人者、というと大げさでしょうか?
   いいえ、私には決して大げさとは思えないのです。
   貧困の問題は、食糧のあるなしではなく分け方の問題であるということが見えてきます。

   フィリピン・マニラには、「スモーキーマウンテン」と呼ばれるゴミ捨て場があります。
   そこに生きる子どもたちは夜明けとともに働きます。
   朝の5時から10時間働いても一日50円程度です。池間さんが子どもらに聞きます。
   「あなたの夢は何ですか」
   「大人になるまで生きることです」
   それもそのはず、この環境の中で15歳まで生きるのは3人に1人だそうです。

   次は、モンゴルのウランバートルが紹介されます。
   貧しさ故、親から見放された子どもたちがこの町だけで2000名以上も居ます。
   ホームレスの子どもたちは、汚水とゴミが散乱するマンホールに暮らしています。
   いわゆるマンホールチルドレンです。
   12歳の少年が池間さんに「早く人間を終わりたい」と言ったそうです。
   ウランバートル郊外やダルハンという所には、池間さん始め沖縄の善意の人達で出来た、
   マンホールチルドレン保護施設「沖縄の家」があります。
   そこには自分の名前も誕生日も知らない子が何人もいます。
   その少年の1人がこう言ったそうです。
   「捨てられた僕だからこそ、立派な大人になるんだ」と。
   タイの貧しい山岳民族の話もあります。
   12万円で女の子が売られてしまいます。

   カンボジアには、100円の靴が買えなくて死んで行く子どももいます。
   ゴミの中での暮らしです。ガラスで足を切り破傷風で死んでいくそうです。
   たった100円の中古の靴が買えないんです。
   センソックと呼ばれるこの地域にもまた池間さんたちは学校を創り、井戸も掘りました。
   それがきっかけとなり、その後日本の別の団体、そしてイタリア、インドと引き続き善意の校舎が建てられ、

   今では3000人もの子どもたちが通っているそうです。
   時には彼らと共に暮らしもした池間さんの話は、たとえ語り口は優しくてもやはり迫力や説得力が違います。
   言うまでもありませんが、これらの学校は政治の力で出来たわけではありません。
   一人ひとりの小さな善意の力で出来たのです。
   私はここに時代を変える大きな力があると思います。

   こんな話もあります。
   ゴミ捨て場の子どもたちと仲良くなった池間さんは、ある日みんなをピクニックに誘いました。
   弁当は池間さんのおごりです。
   フタを開けてみんなビックリ。
   今まで見たこともないようなごちそうを見て大騒ぎです。
   しかしその弁当を子どもたちは食べませんでした。またフタをしてしまったのです。
   6歳ぐらい の女の子が泣きそうな顔で言いました。
   「こんなご馳走は私一人で食べることは出来ません。
   家に持って帰ってお父さんお母さんと一緒に食べてもいいですか?」と言ったそうです。

   これを読みながら、私は涙が止まりませんでした。
   この日本では親が子を殺し、子が親を殺したというニュースが毎日のように流れます。
   私たち日本人は本当に豊かでしょうか?
   アジア各地の想像を遙かに超える貧困の中、
   それでもなお心豊かに生きようとする子どもたちを忘れてはなりません。

   この池間さんの凄い所は、講演の中で子どもたちに何も強要しないことです。
   このアジアの凄まじい現実を知った時、何かしなければと思うのが普通です。
   何もしなければ罪の意識にさえも駆られてしまいます。
   ころがこの池間さんが子どもたちに願うのはたった3つだけです。
    1、理解すること。知るということも大切なボランティアです。
    2、少しだけ分けること。100%の愛はいりません。0.1%でいいんです。
    3、そして何よりも大切なのは、自分自身が一生懸命生きることです。

   ちなみに、この小冊子もまた沢山の方々の善意、カンパから作成されていました。
   記載された人々の名前の中に、かつて私のコンサートを取り組んで下さった方々の名を見つけ胸が
   熱くなりました。
  その本の最後には、中学生の応援団として、と記されてありました。

 (是非この本を読んでみたい、中学生にも勧めてみたいと思われた方は、プラナの事務局にご連絡ください。)

   http://www005.upp.so-net.ne.jp/pulana/(梅原 司平公式HP)

  http://www.centerpro.co.jp/umehara/umehara.htm(”折り鶴”歌の試聴ができます)

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