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短歌に目覚めて・・・2007-07-13
   ☆女郎蜘蛛 広く網張る 庭の道 身をば屈めて 花を愛でゆく


   ☆遠山に 暗雲かかり 空光る 忘れし頃に 聞こゆ雷鳴


   ☆干されしか 空の水瓶 雫なき 霧呼び戻し 雨を蓄わゆ


   ☆梅雨なれば 露と光の 遊ぶ候 星のようにも 花にもなりぬ


   ☆もう間近 梅雨のトンネル 出でし時 光の先は 眩しき夏陽


   ☆台風が 梅雨の厚雲 連れ去るか 陰に控えし 鮮やかな夏

   
   ☆台風よ 爪は立てるな 程ほどに 梅雨の雲のみ 運び去りゆけ


   ☆蜩の カナカナ鳴けば 涼やかに 陽の傾きを 知らせるときぞ


   ☆暮れなずむ 雲の裂け目に 茜色 細く長く 筋の曳けれる


   ☆窓開けし 枕辺に寄る クチナシの 匂い運びし 夜の涼風




 どこで頭をぶっつけたのか、何の琴線に触れたのか、数日前から突然、短歌が頭の中で渦巻くようになりました。今まで、作ったこともなく、作ろうと思ったこともなかったのにです。
 束の間に雨の上がった野道を、クマと歩いていて、辺りの景色のあまりにも感動的なのを見ていると、無性にそのスケッチをしたくなりました。
 しかし、何しろ歌心なんて馴染みがないものですから、高校時代以来の文語体は、助詞や助動詞の使い方さえ覚束ないものです。


 稚拙な自分の歌を眺めながら、思い出しました!
83歳になる親戚の小母が、永年歌を詠んでいたことを。そして、昨年、歌集を出していたことも。
 しばし本棚を漁って見つけ出しました。へ〜え、こんなに深い心を持っていたのか・・・と夢中で読み耽りました。
 嫌いではなかったので、いつかゆっくり読みたいと思っていたのですが、気持ちに余裕のないまま、本棚の飾りになっていました。


 考えて見ますと、父もやっていました。短歌だったのか、俳句だったのか・・・定かではありません。
祖父は、俳句で、句会を盛んにやっていたと聞きます。祖母も、ことあるごとに自分で作ったノートに書き記していましたっけ。(そういえば、北原白秋は、母方の遠縁だとも聞きました。)
 その当時は、全く関心のない私でしたから、見たこともありません。
今考えると、惜しい気がします。 
 歳を重ねると、心が侘びて来て、誰でもそんな気持ちになってくるのでしょうか?それとも血筋なのでしょうか?


 そんなこんなで、今は、法事でしか逢わない83歳の小母ととても話がしたくなり電話をしました。
 短歌に興味を持ち始めた私の話を聞きながら、電話の向こうでとても喜んでくれました。
 

 私の曾祖母の家は、結構広くて、戦時中に焼け出された親戚を数家族引き取って住まわせていたことがあったようで、私が幼い頃生まれ育ったのもこの曾祖母の家でした。 
 この小母も、母と姉妹のように一緒に暮らした時代があり、母の一番の親友でした。結核にかかった母のために、私に乳をくれた乳母でもあります。
 亡き母の話を詳しく聴ける大切な人なのでした。・・・・・店を始めて数年間のブランクがありました。


 「そこは、”ける”ではなく、”けれ”よ。そうそう、連用形にして、最後は、終止形で止める。・・・ここは、連体止めがいいと思うよ。」
受話器越しに、嬉しそうに弾む小母の声!
 

 ありがたいことです。一生懸命相手をしてくれました。その気になれば、怖くもなく気を遣うことも要らない先生が身近に居てくれるということは。


 今日の歌を、また小母に聴いてもらわなければ・・・・・
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