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初めてのアメリカ訪問 part52010-08-08
 ペンシルベニア州、ランカスター地方のアーミッシュの人々が住んでいるカントリーを訪ねました。ハイウェイで2時間の距離でした。映画で見たことのある馬車がたくさん走っていました。


 アーミッシュ(Amish)とは、スイスを起源とするキリスト教の分派の人々のことで、ヨーロッパで迫害を受け18世紀にアメリカに渡って来たのだそうです。そのときの最初の入植先がペンシルバニア州で、そこからインディアナ、オハイオ、イリノイなど各地に移住していったとされています。


 Yahoo百科事典には、下記のようなことが記されています。


 「ヤコブ・アマンJacob Ammanを指導者として始まったためアーミッシュとよばれる。イエスやアマンの時代の生活を実践しようとする復古主義を特徴とする。国民性やイデオロギーの違いで人を殺すより、牢獄へ行った方がよいとする平和主義を貫く。映画『刑事ジョン・ブック――目撃者』(1985)で広く知られるようになった。現代文明を拒否して電気や車を使わず、馬車を用いて、おもに農業を営む。地味な服装は信仰の表れである。アメリカ合衆国では、義務教育や兵役拒否で国家と争うが弾圧は受けなかった。権威や偶像を認めず、自然とともに暮らすアーミッシュの質素な生き方から何かを学ぼうとする現代人もいる。」
 右の画像は、小さくて分かりづらいですが、スケターのようなものに乗って移動しているおばあさん?です。片足は頻繁に地面を蹴っています。道路は、とても緩やかなスロープでしたが、暑い最中疲れないかしらと思いました。


 どこに行こう(あるいは帰ろうと)としていたのでしょう?見渡す限り民家は遠くにしか見えません。ハンドルには袋ものの軽そうな荷物が下がっています。私たちが車を降りた場所には、観光客用のレストランとおみやげ品店がありました。焼き立てパンも売っていました。


創作のおみやげ品を店に置きに来た?
パンを買いに来た?
おみやげ品の中の、ジャムやろうそくなどを買いにきた?
店で仕事をしていて帰るところ?
店には無関係で、お友達の家に行くために通過中?
 

 追いかけて訊いてみたい衝動に駆られました。他人の行動などを詮索するのは野暮ですが、興味ある未知の人に遇ったのでどんな些細なことでもいいから知りたかったです。
 アーミッシュ・カントリーは、観光地になっていて各所に「Buggy Rides」と書かれた馬車の乗り場があります。農業以外の重要な収入源になっているのでしょう。数組の人たちが順番を待っていました。居住区を廻る約1時間の行程で一人12ドルでした。(降りるときには、楽しかったからって、娘はチップを10ドルも払っていたなあ!)
 もちろん私たちは馬車にも乗りたかったのですが、気軽に村に入るためにはアーミッシュの人のガイドが必要でした。


 地平線が遠くに見える広大な平原に畑があり牛舎があり、点在している民家がありました。農業中心と聞いていましたが、私たちが目にした畑そのものは、家庭菜園的なものでした。じゃがいも、玉ねぎ、キャベツ、リーフビート(カラーの不断草=最近は日本でもよく出回っています。)などが乾燥し過ぎた畑に植わっていました。遥か遠くまで緑に茂っていたものは、飼料用のとうもろこし畑でした。乳牛がたくさんいましたから、私たちが訪れたところは酪農のほうが盛んだったのかもしれません。


 ランカスターは小さな町で、アーミッシュ・カントリーでなくても道幅は狭く片側1車線です。それで、対向車が多いと、馬車の後ろで車が渋滞していました。すれ違った車から、馬車に乗った私たちにカメラが向けられました。
 車を運転するのは、観光客かアーミッシュ以外の人たちです。アーミッシュの人々は、車を使わないので、どうしても用事がある時は人の車に乗せてもらうのだそうです。
 アーミッシュの人々の住まいは、アメリカ人の家と何ら変わりませんが、農業地域なので納屋が並んで建っていました。柵が見えるのは、馬のためだと思われます。


 日本では必ず囲いの中に戸建てがあるのに対して、アメリカではどこにも垣根も柵も見当たりません。敷地は大抵芝生で覆われていて大きな樹木がそびえています。不思議なことに、私が行ったアメリカのどこにもほとんど花壇は見当たりませんでした。


 馬車は、ベルギーから来たと言う、1歳と3歳くらいのとても可愛い女の子を連れた家族と相乗りでした。わずか1時間でも一緒にいると仲良くなってしまいますね。
 と言っても、娘たちが案内役の人を交えて賑やかに談笑する中、一番お喋りな私だけが始終無言。聞き覚えのある単語を拾って何を話しているか想像するだけ・・・なんて、ちょっと寂しい、でした。
 牛舎のあるところで一旦馬車を降りました。素晴らしくきれいな女の子が、観光客用に設けた小さな店の番をしていました。売っているものは、馬のひづめを加工したものやクッキー、コップに注いでくれる水やレモネードでした。


 たくさんの乳牛がいて、その牛舎を案内してくれました。私たちは、パンパンに張った乳首を握ってお乳を出しました。搾った牛乳を消毒するための、ステンレス製の大きな装置がありましたが、動力は電気だと言っていました。時代は変わって電気を使う集落もあるのでしょう。


 アーミッシュの人々は、本来は電気も自動車も電話もない生活をしていると聞いていました。テレビ、ラジオも新聞もカメラさえもないので、写真も当然ないのだそうです。鏡さえなく、衣服は地味な無地で作られた質素なものでした。しかし、想像するような原始的な生活でもなく、電気に代わる圧縮空気という動力で冷蔵庫や洗濯機やさまざまな工具類などを使用しているそうです。


 不必要な情報に惑わされることなく、多くを持たず多くを望まず、必要なものを自らの手で作り、助け合って仲良く平和に暮らせるとしたら、それは理想郷ですが、それがアーミッシュ・カントリーだったようです。改めてすごいなあと思います。200年以上もそんな生活が続けられているのですね。


 あまりにも便利な電化製品に囲まれて暮らしている私たちですが、最大5つだけしか手元におけない、残りはすべて処分せよというお達しが出たとしたら、何を選ぶでしょか?
 洗濯機、冷蔵庫、ラジオ、パソコン、車・・・かなあ?いえ、馬車に乗れれば車は要らないです。火は、薪を焚きます。ご飯もカマドで炊きます。灯りはろうそくでいいです。服は着れるものがあれば何でもいいです。でも、パソコンのない生活は考えられませんねえ、私。


 60年近く生きてきて家財道具に押しつぶされそうになっています。家の荷物は、その人が背負った人生の荷物だと誰かが言っていました。この世と分かれるときまでには、無駄なものをすべて捨て、すっきりシンプルな生活にしたいものです。すべてのものにありがとうと言い、誰とでも仲良く平和に暮らしたいです。
 私の一番大切なもの、それは子供たちのアルバムと幼いころの思い出の作品集です。最期はそれだけ抱ければそれでいいです。 
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